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2005: 12月 11月
眠い / 2005年12月27日
と、午前3時に布団に入って眠るまで1時間。
眠って、ふと目覚めると、午前5時。
もう一度寝なおして、また目覚めたら午前6時。
次に目覚めたら午前8時。

最近、こういうことが増えました。
年のせいでしょうか。。。
クリスマス / 2005年12月26日
猫も杓子もクリスマスに酔いしれるはしゃぎっぷりを見ていると、興ざめですね。これだけお祭り騒ぎになるのも日本くらいのもので、あきれ返るばかりです。キリスト教の国ではもうすこし厳かに迎えるものです。さすが日本。

クリスマスは大好きでしたが、大きくなるにつれて白々しく思えてしまうのです。社会全体の異様な高揚感は消費を煽り、お祭り騒ぎを誘導し、切迫感すら与えています。ただのお祭り騒ぎならいいのですが、そこに「消費」という目的が見え隠れするのに嫌悪感があります。クリスマスやバレンタインだけならまだしも、最近はなぜかハロウィンまでクローズアップされてきています。

お祭りは誕生日とクリスマスと年末年始だけでいいですよ。
PDA / 2005年12月23日
いわゆるデジタルガジェットです。そういうのが好きで、AppleComputerのNewtonオリジナルやシャープのパームとか、使いにくいのに使っていました。PDA使っていて便利だな、と思ったことなど一度もなく、ただ好きで面白いという理由だけで持っていましたので、実用には普通の手帳を使っていました。そんなもんです。一番最近だと、ソニーのCLIEです。でもこのごろだと、PDAより携帯電話の方が進化して便利になっていましたので、正しく無用の長物。それでソニーはCLIEシリーズの開発を終了してしまったわけです。

ただ、どうしてもPDAのように小さいものって、私みたいなデジタルガジェット好きにはたまらないのです。このたびシャープから出たW-ZERO3。かねてから一緒にならないかなと思っていたPDAと電話が一つになりました。だからどうした、というレベルなのですが。

このように新しいものに飛びつく人のことを一般的には人柱と申します。
/ 2005年12月22日
大阪でずいぶん雪、降りました。
停電もしました。
電車も止まりました。

すこしはしゃぎました。
ごめんなさい。
先人に学ぶ / 2005年12月21日
昔の日本を知りたくて、いろいろ本を読んだり調べたりしているのですが大変面白いです。目的は生きることであって、今のように経済が前面にはありません。いかに合理的に生産し、食べていくか、ここに集約されていっているようです。もちろんそもそもの産業革命も合理化が最初にあったのですが、合理化が進み生産性が向上した結果はどうなったかというと、今の有様です。

要するに、人手が多く必要なくなってしまったため少ない雇用で今まで以上の生産も一部では可能になっています。そして賃金の差がそのまま豊かさの差になり、貧富の格差となって現れいます。もちろん、頑張った分稼げるわけなので貧富の差はわかりやすい結果で、それはそれでありだと思います。そういう目に見える結果がモチベーションに繋がって個々人の生産性の向上にも繋がります。
でも、これは開国後の日本の姿です。それ以前は経済的に貧乏な村も沢山ありましたが、精神的なゆとりは非常に多く全体として鷹揚だったようです。それはずっと昔から日本で見られた姿だったのですが、明治維新から後、道路が整備されていき地域格差が小さくなるに連れてだんだん見られなくなってきたそうです。

過去の人やものを、とかく卑小に見る傾向がありますが、そういう面ももちろんありますが、そうでない面も多くあります。根源的に人間は今も昔も変わっていません。変わったのはその回りの環境です。環境で人は変わります。そうした一つの結果が昨今の社会ではないでしょうか。先人達から人間的精神的なものを学んで、金や物だけではなく精神的にも豊かになりたいところです。

なんかみんなギスギスしすぎ。
もう / 2005年12月20日
12月も20日です。クリスマス年末は一瞬で過ぎていく恐ろしい期間です。気が抜けません。これから10日間、凄まじいことになるのでしょう。だいたい12月入ってから京までもあっという間でした。

物の本によると、明治前後、まだ字を読み書きできる人とできない人が混在していた頃、「今何時?」と時間を認識して気にかける人は文字の読み書きができる人だけだったそうです。読み書きできない人は時間を認識せず、日の高さだけでなんとなくというのは普通だったそうで、字を読み書きできる人は村の中にも一人二人いればいいほうという時代、それが当たり前だったのでしょうね。人々が文字を知り文化を学び、教育基準が上がった昨今では人々の質は上がったのでしょうか。どうも偏ってる気がするんですがどうなんでしょう。
知識が無くても、お金が無くても悪ではありません。
知識やお金が無い人を追い込んで行くような消費社会の方が悪だと思います。もっとも、社会に善とか悪とかいう相対的な価値基準を持ち込むのが間違っているのかもしれません。
大阪の寒さは / 2005年12月19日
知れてる知れてると思っていましたが、今年は寒いです。かなり。12月なのに既に雪もちらつきました。寒いとはいえ、奈良や京都、和歌山は既にかなり雪が積もったみたいですが、大阪はマシです。

雪は好きとはいえ、都会の雪は嫌いです。
だって、交通網はすぐマヒするし、汚くなるし。

あーしかし寒い寒い。
寒いとしか書けません。
XBox360 / 2005年12月16日
買おう買おうと予約していたのですが、結局なんだかんだのトラブルがあったのでなんだか萎えてしまって、解約して買わずじまいです。
ゲーム機なのにわりと高いしね。

それで、今はドラクエ8に勤しんでいるわけです。

知り合いはXBox買ってやって3D酔いして吐きそうとのたまわっていましたが、面白そうなソフトもないのでしばらく静観です。最近のゲームはキレイすぎて面白くないんです。RPGなんてその傾向が顕著で、ゲームしてるのか映画見ているのかわからなくなるようなものがあったりして、これゲームじゃない!という結果になることがあって、PSあたりからRPGをすることがなくなっていました。
そこへこのドラクエ8。

これはちゃんとゲームです。
面白い!
師走 / 2005年12月15日
このバタバタした師走の街の雰囲気は好きです。クリスマスの雰囲気と、それが終わってすぐにやってくる大晦日正月のちゃんぽんになった雰囲気。

昔々はクリスマス礼拝にも行っていたことがありました。これはこれでまたなんとも厳かで、教会に集まって讃美歌を歌ったりするだけなのですが夜からで電気は点けず、蝋燭を持っての礼拝なのでその空気は独特でした。

クリスマスで賛美歌歌って、年越しそば食べて、鳥居くぐって、御節を食べる。
年末は盛りだくさんです!
快晴 / 2005年12月14日
昼過ぎに外をちょっとみたら、ずいぶん快晴で反射的に出かけたくなりました。最近、天気がいいと寒くても本気で外に行きたくなるので、今まで以上に平日は外を見ないようにしています。青空を見ると脊髄反射が起きるので、青空を見ないようにブラインドを下げて日差しだけでああ今日は天気がいいなとか、ああ曇り模様だななどと感じているわけです。平日は非常に不健康です。

青空と曇り空では写真にしても雲泥の差が現れます。発色はモロに違います。曇りは曇りでまたいいのですが、このところ週末は曇りばっかりなのでちょっと辟易していますので、週末が晴れてくれさえすれば、この青空外出したい病も治るのでしょうがしばらく我慢するしかありません。

冬といえば曇天ですが、そんな中の青空はまた違った趣があります。
雪の季節 / 2005年12月13日
夜のうちに雪が降って、朝方にすっかり積もってる
というのが好きです。そういう朝は異様に静かで外が明るく見えます。そして窓を開けると一面真っ白なのです。昨日までは灰色だった町が道路がすっかり真っ白になっていて、なんだか違う世界のようなしたものです。空気も寒さと雪でぴんとしていて切れるように鋭く澄み切っているので、遠くまでくっきり見えます。

なんだかウキウキしたものですが、昼過ぎて暖かくなってくると徐々に溶けていって土と混ざって汚くなってくのが残念でした。そして夜になるとそれが凍りついてアイスバーンになるのです。これが良く滑る!

自転車でうっかりアイスバーンの上で漕ごうものなら、簡単に一回転できます。

二回転までならやったことあります。
極寒 / 2005年12月12日
気温的には8度なので、言うほど寒くないはずなのですが風が強いためかそれとも気分的なものなのか、やたら寒く感じます。もー外にでるのも億劫で億劫で、部屋でずっと本を読んだりゲームをしたり。そうしてテレビはいよいよゲーム機専用モニタに成り下がり、アンテナ繋ぐ必要ないなぁとあらためて思ってしまうわけで、そういうことなので地上波デジタルのための買い替えなどするわけもなく、番組を見ることもないので世の中何が起こっているのかを知ることもなくなりました。そうやって世間から離れていくのが快感なわけですが、そう考えると情報の8割はテレビに依存している上に情報番組流行で俄か一言居士が増えている気もします。

あんまし信用しちゃだめですよ、テレビの情報番組は。
公平なメディアなんてあり得ないんだから。地球が太陽の周りを回ってるなんて、本当は嘘なのかもしれないんですよ!みたいなね。

科学や物理学など、現在と未来の人々の生活に大きく影響を与える分野は相変わらず活発で様々な技術や発見が相次いでいてそれがどんどん発表されていて、そして報道されています。そしてそれはいずれ商品となり、我々の手元にやってきます。ところが歴史関係って地味です。特に日本の民俗学とか考古学。次々といろいろな発見や現地発表会とか開かれているのですが、最近報道されるのは高松塚古墳やキトラ古墳くらいです。それ以外だと捏造系。そう、この分野は捏造が意外と多いのです。尖石遺跡の板絵も捏造でした。縄文時代が1万2千年前まで遡るのは変わらずですが。

まぁ歴史のことは過去のことなので、捏造があろうがなにがあろうが今も今後も生活に影響はないのでいいのですが、古事記よりもギリシャ神話のほうが知られているんじゃないのかなと思える日本の文化にはちょっと悲しくなったりします。宗教に大らかなのは凄く素晴らしいことですが、根を持った上でそれならいいのですが空っぽだから大らかだとすれば残念なところです。戦後の日本は高度成長期からおかしい方向に突っ走ってしまっていますが、それ以前は文化的にとてもすぐれていたと思います。古いからいいんじゃなくてね。物やお金には困らない日本ですが、想像力の欠如、文化の欠如が著しくなってきていると思います。刃物で人を刺したらどうなるのか、想像したらわかります。鉄筋抜いたらどうなるのか、想像したらわかります。これはわかりやすい例ですが、人間同士の付き合い部分では今も昔も大差ありません。そういう生身の部分で先人たちの知恵を受け後世に残していくべきだと思います。

高速道路や国債や放射性廃棄物なんかじゃなくてね。
とんでもないものを遺していきやがって。
ふらりと / 2005年12月9日
天王寺からチン電乗って住吉大社まで行きました。
チン電いいですよー。チンチンと軽快にならして、がたごと動きます。ほんとにがたごとって言うんです。天王寺からしばらく路上を走って、途中から電車みたいに枕木レールの上を走ります。電車のフリです。軌道と言うらしいですが、よく知りません。この風景がまた渋い。車内もですが車窓から見える景色がまた凄い。
何が凄いかは実際に行って感じてください。

あ、乗るときは車両を選んだほうがいいです。1両のワンマン運転なのですが、車両は新型と旧型があります。屋根がドーム型みたいになっている緑色の旧型車両がお勧めです。床が板なんですよ。
久しぶりに / 2005年12月8日
ゲームにはまってます。ドラクエ8。
買おうかどうしようか迷っていたら、ふとしたことから人から借りてやりだしました。広いフィールド、すごいなぁ、これは時間かかるだろうなぁと思って萎えるかなと危惧してましたが杞憂に終わりました。
完全にはまってます。
RPGにはまるなんて何年ぶりだろうと思いながらなので、これがまた楽しい。

個人的には、RPGは携帯ゲーム機でこそ出て欲しいものなのでDSやPSPには期待していますが、出る予定はあれどまだ先なので忘れておくことにしています。土壇場でやっぱり出しませんとかなったら腹立つじゃん。
人口 / 2005年12月6日
世界的には増え続けていますが、国内では減少傾向になりました。初めて純減に転じたそうで、これからさらに減っていくのでしょう。子孫を残すというのはもともと本能的なもので、感情や理性を取って動物的な考え方で行けば、弱い生物ほど数は多くなります。弱いので結果的に環境や外敵に自然淘汰されて一部が生き残り次へ子孫を残していくわけです。ヒトの場合は、外敵はいないし環境も比較的平穏だと思います。だから、大量に子孫を残す必要があまりなくなってきているように思います。そのためなのか、男女ともに健康でも子宝に恵まれなかったり、意識的に子どもを作らないというのも増えてきています。

一つの個体数が多すぎると共食いや自然淘汰をするという現象が動物にはあります。数が増えすぎたら食べるものがなくなって子孫を残すことができなくなりますからね。ヒトも動物なのでもしかしたらそういう機能が備わっているのかもしれません。本能的にそれを知っていて、肉体が勝手に子どもを作らないようにしているのかもしれません。そう考えるとぞっとしますが、ヒトの場合は肉体的な本能と精神的な理性の二つの狭間にいますので、なにか他のことがあるのかもしれません。

なんにしても、増え続ける世界の人口は脅威です。
国内の人口減少と今後の世界的食糧難を見越して、輸入に頼りっぱなしの食糧事情を改善する方向を目指したほうがいいような気がします。国では無理ですが。
写真 / 2005年12月5日
写真なんか撮ってもしょうがないものだとずっと思っていましたので、どこかに行っても写真を撮ることはなく、ましてや一人で居て意味無く写真を撮ることなどまったくありませんでした。写真を大量に撮って持っている人など、なにを考えているのかまったくわからなかった私ですが、今はよくわかります。そして写真を撮ることが日常になったのですが、見たものをそのまま撮って残す場合はデジカメ。それ以外で楽しみたい場合はフィルムカメラと、変に使い分けています。後から見ても楽しめるデジカメに、現像してなお楽しめるフィルムカメラといずれも自分が楽しめます。

そんな動機で撮ってるものですから、人が見てもあまり楽しくはありません。何を撮ってるの?と言われることもよくありますし、撮ってる様を見てどこ撮ってるの?と呆れたように言われることもあります。自分のために撮っているので、これは仕方がないのです。

そうやって撮りためていった写真を、たまに見返したりして楽しむのが矜持です。
目的 / 2005年12月2日
今は、求めれば情報は何時でも幾らでも手に入り、やりたいこと勉強したいことがどんどん増えていきます。仕事をしながら合間を縫ってそういったことに手をつけていくと物理的な時間には限界があるうえにどんどん次がでてきますので目移りして根気が続きません。そうして長いことできない自分とやりたい自分の間でイライラしながら仕事をしていたのですがあるときぷっつりとその糸が切れました。自分のやり方で自分の時間でじっくりやっていけばいいものを、多すぎる情報に惑わされて長いこと突っ走っていた私でしたがそれは大きな間違いでした。

そうやって冷静になって考えてみると、やることはそう多くはありません。そういえば両親が昔教えてくれてました。人は人、我は我。マイペースが大切なのでした。そして失敗や迷惑などあっても細かいことどうのうこうのよりも、まいっかと言って次に動ける強さがあればいいのです。やることがいっぱいあるといって、あれもこれもしなきゃいけないみたいになってしまいますが、食べたり寝たりする以外にしなきゃいけないことなどありません。お金を稼がなきゃいけない、仕事しなきゃいけないのは経済活動に参加するための条件なだけです。ずっとお金が正義だと思って、お金を得ることばかり考えてきていましたが、これは違うということを強く感じています。

人間の身体は動物ですが、どういうわけかそこに自我ができてそして社会ができあがりました。身体があるが故に、動物的な本能と精神的な自我の二つを抱えた生き物です。物質的な豊かさというのは動物的な豊かさで本能的なものだと思います。精神的な豊かさとは何なのでしょうか。星空を眺めることすらままならない都会では、きっとそこに見えている星空みたいに何も見えないのだと思います。想像力を働かせること無く具体的なビジュアルばかり提供されている現代では、それこそ文化云々以前に人間的情緒がなくなっているのではないかなという感じもします。

明治くらいまであった柔軟な日本人の情緒の香りを知りたいです。
言葉 / 2005年12月1日
日本語が乱れているなどと言われています。言葉自体使い込まれるものなので形がどんどん変わっていくのは当たり前なので、変わるのはいいのですが、乱れるのは如何なものでしょう。そもそも日本語はどのようにしてできていったのか、わかっていません。高句麗語や百済語に若干の共通点があったり、そのほかのいくつかの言語との関係があったりなのですが、一般的には朝鮮系の言語の流入で形成されたということらしいですが、それすらもはっきりしていません。奈良時代以前の日本語は、8母音で子音の後にアイウエオヰヱヲが使われていたようですが、平安時代にはなくなりました。漢字や平仮名片仮名は後から当てていったり崩したりしたものなので、また別です。平安から明治に至るまで、日本語は比較的安定していましたが維新後に外来語がが増えていきました。縦書きだった日本語も横書き左読みもいまや当たり前になりました。

乱れているその乱れっぷりにも基準があると思いますが、要するに乱れているうちでも耳なじみがない乱れ方と無教養な乱れ方とに分けられるかと思います。らぬき言葉などは効率化の結果口語から文語にも波及しただけのことで、それが一般的に認知され定着したのであればそれを受け入れた土壌があってそういう文化なのだということができます。否定肯定語もそうです。ぜんぜんありなわけです。ここ1世紀程度の言語の変遷を取り上げて乱れているとか美しいとか言うのはどうかなと感じます。そんなのは、後世の人たちが適当に学問にして考えればいいのであって、今は今でいいと思います。

ギャル文字はそれ以前に読めないので困りますが。