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なんだか濁ってる気がする / 2006年9月29日
毎日だた机に向かって仕事をしているだけだと、脳みそも眼球も感覚も濁っていく気がします。はじめのうちは濁る感覚自体が面白くてそれに任せてみたりということもしたのですが、それに嫌悪感を覚えるようになりました。これはきっと成長です。

バーやお酒のある場所なども、同じような濁り感と嫌悪感がありますので長い時間はそこに居られません。

テレビからは常にビールの宣伝が流れてきて、ビールを飲むのが当たり前のような雰囲気を出しながら、テレビは飲酒運転を糾弾するのです。嫌悪感があります。

濁りを取るのは簡単で、外に出て歩けばいいのです。
地に足をつけて、きちんと足の裏を意識して足の親指まで丁寧に使って歩くのです。そうやって綺麗な景色を見に行きましょう。観たことが無いくらい綺麗な景色を見に行きましょう。

今度は海を目指して歩いてみようと思います。
新しいものはおもしろい / 2006年9月28日
新しくても夢がないものは面白くありません。12年前にパソコンをさわったとき、その可能性にうきうきしてわくわくして楽しくてしかたありませんでした。

まずは音楽からパソコンにはいりました。MIDIで譜面を作って演奏させてみたり、MIDI音源があれば音色変えて同時発音数を増やしてオーケストラにもなる!と遊びました。その次はグラフィックです。写真を取り込んで加工したり、絵を描いて合成したりと片っ端から遊び倒しました。そして次はプログラムです。HyperTalkと呼ばれる簡単なスクリプト言語を使い、ゲームを作ったりしました。そしてモデムを購入し、パソコン通信をはじめてそれがきっかけで自分のやった遊びが仕事になりました。インフラがパソコン通信からインターネットになり、ただのインフラだったインターネットが今やメディアに成長してしまいました。

テクノロジーの進歩のしかたは、犬の年齢にたとえられます。DogYearといって1年で7年分進むほど進歩が早いというわけです。確かに、テクノロジーは進歩しました。当時使っていたパソコンはモトローラの68040で、約20MIPSです。MIPSというのは、1秒間に何百万個の命令が実行できるかを示す単位でMillion Instructions Per Secondの略です。CPUの性能を示す一つの基準です。プレステ3に搭載されるCell Coreは21800MIPSです。速いのはいいことなのですが、人間の速度は変わりません。パソコンが速くなり、1日にできることは理論的には昔より増えて、実際に一昔前と比べると1日あたりの有効実行時間は43時間分に相当するという話もあります。

時間はそうでも人間は変わってないのですから、飽和します。

わくわくもうきうきもしなくなったパソコンは、私の知ってるパソコンではなく、ただの仕事道具に成り下がりました。

今や机に向かってるだけで、捜し物は見つかり欲しかったものは買えて、テレビや映画も見られます。

想像力に欠ける世の中ですが、便利な世の中になったものです。

立ち止まるゆとり / 2006年9月27日
何事もうまくいってるときは立ち止まることはありません。ちょっとしたきっかけでふと立ち止まることは時々あります。そういうときはただ立ち止まるだけで、またいずれ走り出すものです。

ところが、立ち止まったときに他に道が見えることがあります。これまで2回ありました。そして3回目が来たようです。立ち止まったときに見える道は、示唆に富んでいます。道に踏み出すのもそれを無視するのも自分次第です。

ところで、夜風がとても気持ちいいです。
昼間はまだまだ暑くてじっとりしますが、朝夕の風はほっとさせてくれます。またウロウロする季節が近づいてきました。
最後出たのは確か6月頃なので、それ以来になります。

少し太りましたorz
読書感想文 / 2006年9月26日
理屈っぽさを養うための義務教育は読書感想文にあらわれています。おもしろかったでは零点で、そこに何がどうでどうして面白かったのかを書けと言われます。おかげで理屈っぽくそれらしく体裁をととのえるすべを身につけました。

今度は、そうして身につけた理屈っぽさを捨てるというのも必要のようです。理屈では、理屈を通すために見えなくなるものも結構あるようです。機械は理屈で動きますが、人間は理屈と感情で動きます。だから理屈だけでは通らない道理もあります。

そんなことをぼんやり考えていると、不毛だなと感じてしまいますがそれこそが義務教育のたまものなのかもしれません。

空を青く塗らされて、森は緑で塗らされた教育でした。
空は青くありませんし、森は緑ではなく、太陽は赤くもありません。でも私の生きている社会はそういう社会なので、社会に居る人間としては息をひそめて機械的に生きていくのが必要な時期もあるのだと思います。多数の意見は正義で、大きな声は注目を浴びて正当化されます。人の意見など所詮他人の意見に過ぎず、それらで成り立っている社会はやっぱり現実感が乏しく自分からは乖離した存在で決して迎合できることのない違和感だらけの場所です。そしてきっと多くの人がそう感じているのだと思いますし、そう思うことは現実逃避に他ならず理屈をこねくり回すことで自分を納得させようとしていることもわかっています。

人に話を聞いて欲しいと思って喋っても、その言葉は届かず足下に転がり落ちているのです。

ただ、これは虚無を見つめて諦めているのではなく自分の中にある煮滾る創作への意欲と衝動的な欲求を見つけた結果です。そして現在の社会の中でこれは不要のものであり、従ってこの気持ちはいずれ実現できるときまで見ないようにすべきであるという結論に落ち着いたわけです。

私の頭は、カエルです。
12日間 / 2006年9月25日
さぼってました。12日間。
生彩を欠いています。秋のせいと思いたいところですが、流れ的にはそうではないようなので困ったものです。

涼しくて過ごしやすくて快適ではあります。
今朝などは南向きの部屋で寝ていたにもかかわらず、クーラー付けっぱなしかと勘違いしたほどでした。

写真は南京町に行ったときのものです。凄まじい人出でした。
寒いよっ / 2006年9月13日
起きたら部屋には冬の香りが充満してました。
嬉しくなりながら、暖かい布団に入り直して二度寝してしまいました。

気持ちいいです。
いい気候になってきました。

春眠だけじゃなくて、秋眠も暁を覚えない今日この頃です。嘘です。年中暁を覚えていません。
宗教と政治 / 2006年9月12日
バチカンが体現しているように、宗教と政治は密接な関係にあります。誰がどう否定しても、端から見ていたらキリスト教対イスラム教的な雰囲気はあります。政治が宗教を利用しているというのが実際のところです。

欧米では、一神教であることが文明の一つの証という風潮があります。キリスト教にイスラム教に仏教にヒンドゥー教、儒教その他諸々といろんな宗教があってそれぞれに宗派があります。それで、それぞれがそれぞれの神の名のもとに正しいとされることを行っているのだと思います。宗教に入ったことがないのでよく知りませんが。

日本は、お正月には鳥居をくぐって神社に詣で、クリスマスにはキリスト生誕を祝い、葬式にはお経をあげます。一神教の国からみたら滅茶苦茶です。日本には八百万の神々という考え方があります。神が複数形になることもおかしなことだと英語圏の人に言われたことがありますが、きわめて普通の感覚です。

山や川の恵みに感謝をしながらも、氾濫や土砂崩れなどしないようにお願いする他なかったのです。その祈った対象が、全て神になったのです。だから日々の生活の中で目に入る美しい山は遙拝され、朝日や月、星々、水、土、木、森、石、全てに感謝をするようになっていき、それが大和王朝の広がりで元々の自然信仰と習合されて天照大神に続く天津神や国津神が定着していったのです。普通、宗教には教義がありますが、日本の宗教を見るとそんなものありません。だからこそ大国主命が大黒天と習合されてもおかまいなしですし、福の神になってる大国主命(大黒天)が三輪山界隈では大物主命と名前を変えて祟り神とされていても問題ないのです。

「マホメットとキリストと仏陀と孔子が人類の幸せを議論している様を、鳥居の陰から八百万の神々が頬笑みながら見ている」という言葉を何かで読みましたが、とても象徴的です。

宗教を阿片に置き換えると、100年前と全然変わってないのでは、と思ってしまいます。
雨音とまどろんだ日曜日 / 2006年9月11日
すごい夕立で、町中が激しい雨音に包まれました。

マンションの高い階で、窓を開け放ち本を読んでいました。
コンクリートやアスファルトをたたく雨音だけが外に響いていて、雨の香りが部屋中に立ちこめ、風は冷たくなっていきました。

森の中の家に居る気分になってきて、頭がぼんやりとして少しまどろみました。

すごく静かで、すごく幸せな気分になりました。

世界で最高の表現手段 / 2006年9月10日
これまで様々な人々が様々な手段で表現をしてきています。文字、絵、動作、音楽、そしてこれらを組み合わせたりして、その数は無数です。表現する内容によって表現手段は変わって来ますし、表現者の好みもありますので、それに優劣などはなくなんでもいいのですが、とりわけ誰でも持っていて誰でも行えて特に道具が必要のない表現手段があります。そしてその手段は世界で最高の表現手段でもあります。

それは声です。
声に勝る表現手段はないと思います。

昔は録音などはできなかったので、残っていても明治初期の音ですがそれ以前からもちろんありましたし、音楽に関して言えばそれを残すために結果的に楽譜ができたにすぎません。そして楽器の中でも弦楽器は人間の声に近く叙情的であるというふうに評価されてきました。

音楽を表現の手段とするならば、歌がメインになります。歌は詩を覚えて理解を助けるためのメロディがあります。メロディがあって歌うだけでもいいのですが、さらに幅を広げるためにリズムを付けてみたり伴奏を付けてみたりしたのが現在のバンドの原型でもあります。もっと複雑ではありますが、根本的には宗教に行き着きます。祝詞や賛美歌、読経と根源はこの辺からです。

即ち、楽器はあくまで歌手の歌う歌(歌詞)を引き立てるための引き立て役に過ぎず、そのためには歌詞を理解して知っていなければなりません。そして歌手はなにを言っているかわからないような歌手では、成り立ちません。ダラダラ歌うのはスタイルでいいのですが、ダラダラ歌っても歌詞が聞き取れなければ格好悪いのです。
例えば最近のビジュアル系などは、ライブになると何を歌っているのか全くわからず、裏声を張り上げているだけです。シャウトならともかく、どうやら歌っているらしいぞ、という程度です。

こういうのは滑舌の練習をすると、どんなに砕けて歌っても歌詞はきちんと聴き取れるようになります。下手なのではなく、滑舌が悪いだけなのです。あーかっこいい歌詞みたいだけど、聞き取れないからわけわからない、というのは無意味です。また、歌手よりも前に出てくる楽器もいけません。邪魔です。前に出て弾きたいなら、ジャズでもやっていればよろしいのです。

さて、そういうわけで誰でも持っている楽器の声は、表現力がとても豊かな楽器です。そして、その声は似たような声はあれど同じ声はありません。ただ、ふつうの楽器よりもシビアですし日常生活で使う部分でもありますのでメンテナンスは大変そうです。

先日、5曲目をアップしましたが私の曲に歌が入っていないのは私が歌えないからです。また、声質的にも男声よりも女声の方がいいのです。
いつか、歌が入ればと思っています。
糸が切れた風船の意志 / 2006年9月8日
糸が切れてしまった風船は、ふわふわと空に昇っていきます。そして風に乗って移動していきます。人も同じようなものかなと思います。目的を持ってガツガツ生きている人も、計画性を持って計画に進めていっている人も、自分でそう思っているだけで、実は風のように目には見えないけど確かな力に寄って先に進められて生かされているだけにすぎないような気がしてなりません。

世の中は、大小様々な大きさや色や形の大きさの風船がフワフワと漂っていて、くっついたり離れたりしながら時間が進んでいっているように思います。そして何かの拍子に割れてしまったり、時間がたってやがて萎んで落ちたり、そういうことの繰り返しです。また漂いたかったら、自分の風船をまた脹らませて飛ばせばいいのです。予備は下にいっぱい落ちてます。

そうだとしたら、その風の動きを感じて流れに乗れたらきっと気持ちがいいでしょう。
四角い空 / 2006年9月7日
都会では空を見上げれば、ビルに矩形に切り取られた空は四角く見えます。角張っていてゴチゴチしています。

私の部屋の隣に50階はあろうかというマンションが建ちました。部屋から見える空は、細い細い長方形になりました。夜になると、たくさんの窓からもれてくる明かりで、昼間のように明るくなります。

これはこれで、都会の情緒です。
そこには窓の数だけ生活があって人生があるはずです。夜になっても干しっぱなしになっている洗濯物は、無機質なマンションの壁に人間くささを漂わせる小道具になっています。

3年前まで駐車場だった場所に数百人が暮らしています。
この界隈で見かける人の多くは、きっとご近所さんなんでしょう。
忙しいです / 2006年9月6日
と、タイトルに書きたくなるほどバタバタです。
今月は、たぶん一瞬で過ぎ去る月になることでしょう。今日も今日とて朝からお客さんがきつつ、作業しつつ、明日締め切りの別の仕事を考えつつ、来週は来週で混み合ってますのでとにかく目の前のことを粛々とこなしていこうと決めました。

最近、忙しい忙しいとしか書いていないような気がしますが、頭の中から仕事のことが抜ける隙がないので、こういうことになってるのでしょう。まだ土日休めるだけましなので、そろそろ切り替えていきたいところです。
今年の靖国参拝 / 2006年9月5日
ニュースでやってましたが、若い人たちの参拝がやたら多かったらしく、境内でインタビューなどもしていました。彼ら曰く「国を守った英霊なら拝んで当然」ということです。

個人的には、英霊という言葉を作って拝むのなら、今でも生きてる自分のお爺さんやお婆さんの戦争体験を聞いた方が何百倍もいいと思います。靖国神社に神は居ませんでしたので無意味です。靖国神社どうこう思うのならば、東京に居て東京大空襲があったことを想像して足下に未だに埋まっている遺骨に気持ちを向けた方が、実りがあると感じます。そのとき死んだ人々はそれこそ民間人、ふつうの人たちです。

16歳の時に修学旅行で沖縄にいきました。沖縄には未だに陸上戦が行われたときの戦車が放置されていたりして、すっかりリゾート化されているとはいえ場所によっては当時の様子がそのまま残っています。たくさん残る壕には無数のしゃれこうべが転がっています。大きさは様々で、こんな穴蔵でこれだけの人数が息を潜めて生活し最後は自決したという事実を強烈に見せつけてくれます。

ひめゆり学徒隊のことも忘れられません。10代の女子学生も看護要員として動員し、297名のうち224名が殺されたり自決させられたりしました。

テレビで語られる戦争や、歴史として学ぶ戦争は、知識としての戦争でしかありません。そういう知識でしか戦争知らない私たちは、生身の戦争を知る必要があります。戦争は生身の殺し合いです。殺し合いになり敵味方の区別もなくなります。

生身の戦争を知らない世代は、戦争は外交手段としてとか戦争は自主権の問題でなどといいますが、戦争経験者は絶対にそういうことは言いません。その明らかな違いが感情を物語っています。

戦争のことは想像するだけで涙が出てきます。
実情はともかく、せめて日本だけでも、戦争をしないと言っていてほしいです。
イライラ / 2006年9月5日
雑念が多いとイライラしてイライラすることで余計に雑念を生むというイライラスパイラルに陥ることがあります。

スパイラルということは、いずれかの向きに回転する力があるはずなので、逆方向の力を掛ければ相殺できるはずです。と、考えるこれこそが雑念です。

あれやこれやとやらなければならないことが多い中で、日々増える細々とした雑用に振り回されているうちに一日が終ってました。気付いたら携帯は充電が無くなって死亡している始末。それすらにも気付いてなかったのは、ただ忙しさのせいなのか、電波状態が悪い故に自らの意識から携帯を追い出していたためか、考える気力すらなくなっている脳裏にはしかし、これまでの怠慢と惰性の結果だと諦めている自分がいるのだった(高村薫調

どこかで休みを取って、去年みたいに旅行に行きたいものですが、今年は既に年内の予定は埋まってしまっていますので、来年以降に期待です。

最近、毎日予定が決まってないと不安と言う人のスケジュールを聞きましたが、聞いただけで疲れてしまいました。毎日極力予定を入れないようにして、思い付きと気分で動く私には地獄です。そう思って自分の過去のスケジュールをめくってみると真っ黒け。二度とごめんです。

なんだかパソコンやら仕事やら人間関係やら、自分で自分を縛っていたものがするすると音を立ててほぐれていっている気がします。

具体的な感触は、抜糸に似てます。あるいはグラついていた乳歯が抜けたときみたいな。

行き先は知りませんが、時間は流れます。
ていうか / 2006年9月4日
音の一元管理でタグも付けられるアプリといったらiTunesがあるじゃないですか!
まるっきり頭になかったので、今からインストールです。
バリバリカバリ / 2006年9月4日
先週の土曜日にリカバリしてまっさらになったWindowsですが、必要なソフトなどをまだインストールしていません。一応、前の状態で必要だったファイル類はバックアップしてあったので、それをコピーしてきて、さてどんなアプリいれてたかなと思い返している最中です。

仕事以外に関していえば、Windowsを使う必然性はないのでLinuxでも面白いんじゃないかなと不毛なことも考えてしまいますが、それはそれで面白いだけじゃないかという結果に落ち着きますので、無難にWindowsです。MacOS Xが走ればベストなのですがcore duoではないので動きません。

相変わらずブツブツ言っているのですが、徐々に環境もできあがりつつあります。この際なので、いろいろ入っていた映画とか漫画とかはポイポイ。問題は音ネタ。結構容量食ってるものの、適当な管理方法を思いつきません。しかし捨てるには忍びない。音を管理する方法を検討する必要がありそうです。テンポも録音環境もバラバラの音をいかにして一元管理すべきか。タグだけ付けて適当に管理かな。

そういうわけでソフト探し中。
windowsのリカバリ / 2006年9月2日
まったく愛着のないWindowsノートですが、リカバリすることで完全にまたまっさらになりまして、なおさら愛着がなくなりました。これが新しく買ったMacBookとかでしたら、愛着も湧くかもしれませんし(いまいち自信なし)、最初のセットアップもウキウキと行い、新品のMac独特のあの香りを感じながら楽しく時間が流れていくと想像できますが、現実は苦痛です。

いや、いいパソコンなんですけどね、実際。
小さくて軽いし、それなりのスペックですし、過不足ないといえばないのですが、あとは好みの問題です。

贅沢になったものです。
こうブツブツ言うのも、ただいまセットアップ中だからであってセットアップが終了して普通に使えるようになったら、存在感自体薄くなりますのでブツブツ言うこともなくなります。

普段、存在感がないwindowsノートにとってみたらブツブツ言われるだけまだマシかもしれません(といいように考えてみる)。
9月だー / 2006年9月1日
もうすぐ年末だー!
という焦りを少し持ちつつ、一日過ごしてみました。あれしてこれしてと考えると、やっぱり大変になってしまうので目先のことからコツコツとやっています。

そんな中、私のVAIOノートがおかしくなりました。プロファイルのデータが壊れたみたいです。なので、リカバリ。ただいまリカバリ中。時間かかりすぎ。。。
忙しい時に限っていろいろ降って湧いてくるのはよくあることで、そういうときに限ってやたら電話がなりまくったりということなんて日常です。ずーっと静かだったのに、一日のうちに30分間だけ電話が集中ということもあったりします。

日ごろ、電話やチャット、メールでコミュニケーションを取っているわけで電話はまだしも、チャットやメールは全くもってテキストです。薄っぺらです。長いことデジタル系にいるとそれが当たり前になって、感情が剥がれ落ちていきます。そして結果的にトゲトゲしてしまうことは比較的よくあります。

そうやって磨り減っていたのですが、それはまずいということで手紙のやり取りをするようになっていました。手紙は文化だという思いもありますし、手紙だからこそ伝わることもありますし、肉筆故の感慨もあります。メール世代にとって、手紙というのは新鮮ですし手続きが多いので面倒くさく、儀式的ですらあります。
実際に始めてみて、それはとても面白く話題を考えたり日々の生活の中で「これを書こう」とか「こんなことあった」とかをまとめて文章にするのは、脳みその体操にもなりますし表現力も増し、語彙も増え感覚が豊かになる気もします。

だからどうだというものでもありませんが、安易で軽薄なコミュニケーションが増えている昨今だからこそ、生きてくる良さというのは確かにあるように感じます。