おしまい / 2007年2月28日
2月は本日28日をもって終了です。
毎年「2月は短い短い」と思うのですが、今年はとりわけ短かったです。特に中旬から今日までの早いこと早いこと。スケジュール帳を見てみたら、バタバタといろいろやっていますが、既にほとんど記憶にありません。なんか損した気分。3月はもっと一日一日一瞬一瞬を感じながら過ごせる余裕を持ちたいと望みますが、世間は年度末です。きっとそうは問屋が卸してはくれないことでしょう。繁忙期でもありますが、無理はせず気楽にいきます。
ちょっと徹夜が続きすぎて、やばかったですが復活です。
それでもガタが来ないこの身体。凄いな、健康だな。寝たら元通り。だから無理をしてしまうのもありそうですので、以後気を付けて無理はしないように調整していきたいです。
しかしこういう広告関係業界は、イメージが先行しているようで、デザイナーとかコピーライターとか横文字肩書き=カッコイイみたいな言われ方をします。特に若い人に。そして業界に入って失望するのが常なようで、逃げ出す若者の話は結構聞きます。クリエイター系などと言えば聞こえはいいようですが、いずれにしてもお客さんあっての仕事ですので、最終的には肉体労働に近くなります。どちらかというと、耐久レースみたいな。そのレースを終えてきちんと報酬を払ってくれればいいのですが、ここで値切ってくるのが大阪。大阪よりさらに酷いのが名古屋。値切り方がえげつないと言われています。私は名古屋のお客さんと仕事はしたことないので、幸いにそういう目にあったことはありませんが、あちこちの営業さんから似たような話は聞きますので、実際そうなのでしょう。
まぁでも、どんな業種でも下積みはキツイものです。
「最近の若い子は怒ったらすぐ泣くんだもん」
と某社部長が愚痴ってましたが、実際根気がない上に頭でっかちな若者は多いように感じます。先のことばかり考えて何もできない若者や、認められないからと言って文句をいう若者。認められるまでひたすら続ける「若さ」やひたすらに挑戦し続けて頭を打ち続けても頑張る「若さ」が見られません。こういうことができるのは若いうちだけでもありますので、もったいないなという気持ちになってしまいます。
恥はたくさんかいて、頭はいっぱい打って、辛い思いをするだけした方が、あとになって豊かな人生だと感じることができるように思います。
いやはや / 2007年2月27日
買い物に行こうと外に出たら凄い雨。
雨が降ってることに気付いていませんでした。
というわけで、買い物は取りやめ。
また明日かなー。
出不精でもあるので、微妙ですが。
ギターの弦も買いに行かないといけないのですが、これまたなかなか億劫で。
一山越えたところで、ちょっと脱力モード。
休憩が必要です。
今週いっぱいはちょっと楽かな。
次の山は来月中旬に既に見えています。
縁 / 2007年2月26日
縁です。
袖振れ合うも多生の縁と言いますが、何にでもご縁はどこでも繋がってるもんです。
先日、友人から「すごい手相占いの人がいるぞ」と聞きました。
何気なく暇つぶしに観てもらったそうですが、驚くほどあたりアドバイスもしてくれて、どうも普通の占いとは違うと言うのです。友人自身はもともと占いに懐疑的な方ですし、そんなアドバイスや鑑定など口八丁だと公言していて、だから暇つぶしに手相を観てもらったのでしょう。
そんな友人がわざわざ私に言ってくるほどです。縁があったら観てもらおうと思っていました。居る場所も何かと通る、わかりやすい場所ですし、容姿も特徴的なので通りかかった折にでも、と思っていました。先月、通ったときはその場所にそんな人はいませんでしたが今日通りかかったら、居ました。あぁ、絶対あの人だと思って近づいていくと、既に先客が居て熱心に話しています。なので、先に用事を済ますべく、そこを通り過ぎて用事を済ませて30分後に戻ってきたら、客も手相屋さんも、既に居ません。たった30分で居なくなってしまっていました。
今日は縁がありませんでした。
でも、また通るときに居れば、観てもらいたいなと思っています。
餅餅モチベーション / 2007年2月24日
「やる気」です。
忙し過ぎて何もやる気が起きません。仕事はしてるけど〜、なんか仕事してもしても意味ないじゃ〜んみたいな。忙殺ってやつです。忙しいとモチベーションも上がるのですが、まったく上がらず困ってます。
でーんでん、やる気が出なくて集中でけません。
ここ数日のこの日記も、誤字脱字が多いこと多いこと。
THIS IS FUNUKE。
お。ふぬけってローマ字で書くと「fuck」と「nuke」をくっつけたみたいですね。fuckin nuke!
nukeって核のことです。ナイスな造語ができましたので、FUNUKEを広めたいと思います。
いやいや、こんなアホなことを書いていないで仕事をしなさいと言われそうですが、集中できないで手をつけても進まないし、よしんば進んだとしてもそのクオリティは低いし、いいことないのでこうして気を紛らせているのです。
なんかないかな、簡単にモチベーション上がれる方法って。
あー、いー、うー、えー、おー。おぇ。
コーヒー飲み過ぎで気持ち悪い。
煙草も吸い過ぎ。
あー、やるしかないもんなー。
先週から一人デスマーチです。しかしそれもようやく出口の光がうっすら見えてきました。どのみち今月いっぱいで終わります。
ていうか、もう2月終わるんじゃん!
はやっ!
ここんところの生活 / 2007年2月23日
半分、身体が宙に生活が続いています浮いた心地です。
仕事がどんどん来てくれるおかげで、寝る間がないとはまさしくこのことです。寝てたら納品できません。
あれ?
それってスケジューリング間違えてるんじゃないの?
と思った方、その指摘は正解。
紙物でしたら、できあがりで納品で終わりなのですが今進めているプログラム系のものは、お客さんがイメージ湧かないまま、仕事として成立してしまうことがあります。それで、一度できあがったものを見て、次から次に修正という名の「仕様変更」がボロボロと出てきて、デッドラインギリギリまで詰めた作業をしなくてはならなくなるのです。
最初のスケジュールで行けば、既に終わっているのですが、相次ぐ仕様変更や追加でズルズルとやらざるを得なくなり、そこへ他の仕事が来て、という悪循環です。
「しまった、これはドツボだ」
と、気付くのが遅く、逃げ遅れた感が拭えません。
今年の五月の連休は、カレンダーの都合上かなり長いのでそれを楽しみに今は踏ん張っています。東京行ってから長野行こうかな。それともそのまま岩手くらいまで行こうかな。青森も行ってみたいな。
しかし、今やってる作業はかなり消耗します。同じような物を幾つも作ってチェックしてチェックしてまた同じような物を、と機械的なので、クタクタです。音も使っていますので、音楽も聴けません。愚痴っぽくもなるっちゅーの。眠いんだか眠くないんだか。いや、眠い。眠いぞ。
二年前の私なら、きっとこの状況を喜んでいたかもしれませんが、今は真逆です。そんな自分に困ったものですが、周囲はもっと困っているはずです。とにかくはさっさと終わらせて、ゆっくり休みたいものです。
まぁどっちにしても一週間後には全て終わっていますので、そう考えたら気も楽です。
ぶつぶつ。
会いたい / 2007年2月22日
ときどき思い出して、無性に会いたくなる人が何人か居ます。
老若男女の別なく、とにかく会って顔が見たくなります。
同じ空間にいてその雰囲気を感じるだけで満足なので、会ったからどうというものでもありませんし、こっちが勝手にそう感じているだけのものなので、具体的に何がどうというものでもありません。
オーラなどという言葉がすっかり蔓延して、オーラがあるとか見えるとか言う話がありますが、そんなことはともかく、なにかの雰囲気、気配を感じるのは実際にありますし、その空気に触れているだけで満足というのは体感したことがあると思います。
もうそろそろ中性貴族や武士とか以外のものを出して来た方がいいかもしれないんじゃないかな、と誰しもが思い始めているようなので、ちょっとやば目かもしれません。だいたい、人に見えないものや理解を超える物を知らしめようとすることは非常に危険です。なればこそこういった内容は喋る相手や場所を選びますし、多様化した世の中に一定の考えを根付かせるには、それこそ「奇跡」といった超常的なことを実際にしてみせるなりしないと、常識への異端児として見られる結果になります。
しかし、この「奇跡」はメディアの手に乗るとエンターテインメントに変化させられ、視聴率とスポンサーが物を言い出しますので、安易に出すわけにはいきません。
オーラには色があって云々
とか
オーラが撮れるカメラ云々
という話がまことしやかに流れてきますが、惑わされてはいけません。誰にでも感じられますし誰にでも見えますしそれは特別なことではありません。空が青いと見えるように、あなたはオレンジですしキミは赤紫なのです。誰も見たことがないけど、太陽系があって銀河があるのと同じように、見ようが見えまいが見ようとしようがしまいが、あるものはあるので、あとは科学がそれを見つけなければなりません。科学的というのは、既存の概念に則って「ある」「なし」を判断するのではなく、それがある前提で追求するところに根本があるはずです。ニュートンによる万有引力の法則などまさしくそのままの例です。「なぜ落ちるのか」という素朴な疑問が古典物理学の始まりでした。
それが徐々に机上の学問になり量子論が生まれ、どんどん理論は進みましたが、同時に想像力の欠落も招いていっています。我々に必要なのは想像力であるとホーキング博士が言っていますが、自然ありきの科学です。ある物理学者は「科学は断定しない」と言っています。全て判っているわけではないので、「〜は科学的ではない」という断定的な言い方ができない学問なのだそうです。
そういう風に考えていくと、人間の身体は合理的に作られていますが、意識はその合理的な身体にの作りに反比例するかのように、非合理的です。
だから、あの人に無性に会いたいな、どの人に無性に会いたいな、あの空気を感じたいな、雰囲気を感じたいなと思うこの非合理的な感情というのは、ただの非合理ですがそれ故の人間で、身体が合理性を求めれば求めるほど、意識は非合理的になっていくのかもしれません。その雰囲気や空気感をオーラと置き換えても、やはりそれは同等で、それが見えようが見えまいが、何ら変わることはありません。目に見えない物が存在しないものであるだとすれば、目に見えない量子の固まりである様々な物質は存在しない理屈になってしまいます。
量子論では、観測しているとき以外は「ある」「ない」は不確定要素となります。
それでもあるものはあるのです。
アインシュタインは量子論の不確定性というものに強く嫌悪感を抱いたそうで、我々は神ではない「月は我々が見ていなくてもそこもある」という言葉を遺しています。
私が会いたいと思おうが思うまいが、彼も彼女もあの人もどの人も、変わらぬ生活を送り健康に生きて幸せを感じているのならば、どっちでもいいんじゃないのかなというのが、不確定性というものなのかもしれません。
夜中に起こされる / 2007年2月21日

最近この時間にしばしば揺り起こされます。夢現状態で、誰かが揺り起こすのです。
改めて考えると気持悪いですし、不気味です。
このビル自体、様々な幽霊話は多いですし、目撃情報も多いので覚悟はしてましたが、こちとら生きてる側です。往くに往けない死人共を相手にしているわけにはいきません。
こちらの方が圧倒的にエネルギーは強いので、一喝すれば素直によそに行きますので、恐怖感はありません。邪魔なだけです。いい迷惑です。
私には見えませんが感じることはできます。大概は話を聞いてもらいたいようで、起こすようですが、そもそもその時点で不機嫌ですし、夢か現かはっきりもしませんので、いきなりキレたりもします。
一度だけ話を聞いてやったことがあります。なんでも、一度家に帰ったものの、書類を忘れて会社に引き換えしたところ、途中でトラックに巻き込まれて死んでしまったそうで、書類が気になってまだこの辺にいるということでした。まだ若い女性社員で責任感の強さが未練に変わってしまったような印象でした。
いやいや、その会社は隣のビルだし、おれは関係ないし、そもそも既に誰かかキミの代わりになってるから、ここにいだけ無駄だから、後ろにいるガイドにしたがってさっさと次に行く準備をしなさい、というと少しだけ寂しそうな雰囲気を残して消えて行きました。
未練を残すのも地縛霊になるのも勝手ですし、感じられるからといってもこれは全て気のせいかもしれません。変につまらない同情をしてなつかれたり情が移ってもやっかいなだけです。先祖やガイドか己で気付くのを後ろから見守っているのですから、さっさと反省して次に行くべきです。
死んだものに起こされるほど迷惑なことはありません。私にそういう隙があるのかもしれませんし、気のせいかも知れませんが、現実的には朝が来て仕事があって夜は寝る現世の生活に身をおいている人間としては、知らない死人の話など聞く耳は持ちません。
ここはあなたのいる場所じゃないぞ、と教えてあげればさっさとどこかに行くので、それはそれでいいのですが、起こされる身にもなって欲しいものです。
死後にまで寂しがっているようでは、先が思い遣られますよ。
次に起こしたら、容赦なく吹き飛ばします。
もう二十日!? / 2007年2月20日

と素直な感想がでる今日この頃。
なんかどたばたしているうちに2月も終わりに近づいています。世間一般的な企業は決算期間近なので、駆け込み需要というか「あれあれそんなことまでも」という仕事が舞い込んでくるので何がなにやらわからない状態になっています。それでも粛々と時間は行進し、それに比例するように仕事以外のやらなければいけないことが溜まっていって春になります。
春が来るなら溜まってもいいかぁと楽天的にいってます。
しかし、手が欲しい。
バイトでもなんでもいいから、こまごました雑用をさせる手が欲しい。
忙しくて外に出る間がないと、いいことがあります。お金を使わなくてすむ。
それで思い出しました。昔ス●エアに就職していた友人が「金は貯まるが命が削れる」とのたまってました。ゲーム開発会社ですので、給料はいいのですがそれを使う時間はまったくなく、休み=入院というのが普通だそうで、2年ほど勤めてやめてました。労働基準法とか一応ありますし、法令遵守が言われていますが、それは建前で実際は社長自らが鞭をふるいに来るのが普通です。
いろんな会社に嘱託として所属したことがありますが、まぁどの会社も似たり寄ったりの派閥争いやいじめ、いやがらせ、噂などなどドロドロした世界です。中にいるとそれも普通のようですが、私は嘱託の身で、社員ではありません。なので常に距離を置いてそれを見ていました。一般社員は私を同僚として見てくれますので、いろいろな話が聞けますし、役員は私を直属と見てくれるので、上からの立場の話もいろいろ聞かせてもらいました。
某開発会社に居たときは、その会社でカリスマ的な優秀な開発者がある日過労死してしまいました。まだ30代前半と若く、家庭もあったというのにかわいそうなことに、過労死です。もちろん会社からの慰霊金や保険などもおりましたが、お金で贖えるものではありません。その社内にはカリスマ的開発者を喪ったという喪失感も広がり、戦意が低下しました。これは当然ですし、そうなった労働環境について考える機会でもありました。
ところが、役員はそこで一計を案じ、自らがそのカリスマ開発者と同じような格好をして夜中に社内をこっそり練り歩くという奇行に走ったのです。
「なんつーことしてるんですか」と役員に言ったのですが、しばらくして社内で「こないだ無くなった誰某の幽霊が出るらしいぞ」という噂が広がり「仕事のこと気にしてるのかな、おれらでがんばらないとな」などとモチベーションの向上に向かったのです。私は知らんふりして話を聞いていただけでしたが、結果的に会社としての利益は守られ、社内には一体感がうまれました。
それの良し悪しは、そこで働く人次第です。もちろん、役員が計ったということに気づいた人は何人かいて、しばらく時間を置いてからやめていきました。
また別の会社では、社長が常に不在。
出たり入ったりを繰り返して忙しくしていました。ところが、業績はどんどん悪化していき、50人規模のリストラを実施して、他の会社から資本提携を受けてギリギリのところでなんとかかんとか踏ん張ったというところもありました。社長がバタバタ忙しく外と中とをつないでいても、実務と経営が一致していないと意味が無いという好例かもしれません。
こういうことを18歳〜22歳の頃にかけて見せてもらいましたが、会社の規模にかかわらず三人寄れば派閥ができるのは本当ですし、派閥が対立を生み嫌な人間関係を見せられるのは常でした。家族経営的な会社でもそうでしたので、それと比べてみれば、今の私の環境などは非常に恵まれているな、と思うことができます。あくまで相対的な基準ですが、そういう基準しか持ち合わせていないので、これで良いのです。
10年前は金にならないことは一切しませんでしたし、金儲けのためにいろいろな仕事をしましたが今はお金が欲しいという気持ちがほとんど無くなってしまっています。飢えぬほどあればいいという次元なので、ちょっとこれはまずいなと焦りもあります。自分の体が動かなくなったときには、そのまま飢えて死んでしまいます。以前のあの貪欲さを取り戻すために、数年前に会社としてやっていこうと思ったのですが、だんだん方向がずれて行っています。それに気づいたからこその焦りかもしれません。とはいえ目先の仕事に追われているうちに、こうして時間が過ぎているようでは10年前と同様です。
ということを思いながら「そういう時期なんだ」と納得することで、問題は先送りできますのでそうしておいて、またいつか機会が来れば動き出すことでしょう。無理に動くとあちこちに傷ができます。その傷は本意ではありませんので、不本意なことはするべきではありません。
そして春がやってきて、桜が楽しめれば今年もまた幸せな一年になります。
闇の中、眠りが訪れるのを待つ / 2007年2月19日
遠くでバスドラが鳴ってる
そう思って耳を澄ませたら
自分の鼓動だった
おかしくなって、クスクスと笑った
クスクスはポトリと落ちて
闇に同心円を描いて広がった
闇の中に広がった同心円は
極彩色に輝いて向こう側に導いてくれた
夕日に照らされた太陽の塔の裏側が
高度成長期の終わりを教えている
右側の部屋でテレビが言う
「出会うタイミングがよかったのよ」
「日々朝が来てまた夜が来て繰り返されていると思っている」
「自分が動いているのではなく、環境が動いているだけよ」
「あたしは恐竜側の人間だから、それがわかるの」
「鳥居の右側を通れば陽の神、左側を通れば陰の神。真ん中を通れば普通の神」
鼓動は揺らぎながら一定のリズムを刻み続けている。
闇の中、身じろぎせずに目を覚ました。
忙しいとか忙しくないとか / 2007年2月17日
そういうレベルを超えています。
15日の朝から今まで起きっぱなしでフル活動で仕事しています。
忙しいのは嬉しいことです。嬉しい悲鳴とはこのことです。いったい何点のデザインを作ったのかわかりません。まるで影のように速やかにやってきた仕事はまた速やかに処理されて、プレスであったり印刷であったりと媒体に向かって行きます。
こういう手離れがいい仕事は、何事も速やかにことが進むので気持ちいいですが、待った無しなので立て続けになると、今のように寝ないでぶっ続けで仕事ということになります。
え?
労働基準法?
しかしこの感覚。
紫煙と液晶のあかりに眼をしょぼつかせながら、雀荘に行っていた時期を思い出します。徹夜明けで更に行き、耐久麻雀をしてみたり、そのまま「朝日を見に行くぞ!」と鎌倉まで行ってみたり、楽しみましたが、そういうテンションです。ナチュラルハイです。そして明日も昼以降はビッチリスケジュールが埋まっていますし、とりあえず再来週まで詰め込まれました。
よしよし、これでよいよい。
そしてゴールデンウィーク頃に少し空いてくれれば好都合です。
いやしかし、風邪もひかぬこの身体、なんと頑強なことか。
ところで、この間にも仕事してさっさと寝ろといわれそうですが、機械の作業待ち中なのです。
と、書いている間に終わりましたので、これで終わりです。
ジェットでコースターなワケ / 2007年2月16日
「これの意味がキミにわかるかね、ワトソンくん」
「なにを言ってるんだい、ポアロ。こんな美しいご婦人に失礼じゃないか」
「ノン!ヘイスティングス大尉!今はキミはワトソン役です!役に徹してください!」
現実で作られた虚構の名探偵が、さらに小説の中の名探偵を模倣しようとしてました。意味が分かりません。
。。というのが、今の状態。
正月明けてから、ぼけーっとしていたような気がしてましたが、着実に経過した時間に比例して、高いところまで上がっていたようで、昨夜のある瞬間にカチリと音がして、滑り出しました。
滑り出したときには、それとは気付きませんでしたが、あぁ、こっ、この速さと風は、 きっききっとジェットコースターだな。それもとびきり高さがあるやつだ。
と、感じたのです。
今夜で降りられればいいのですが、これが自分で作り出したジェットコースターだとしたら、終わりを作れるのは私だけです。自分の虚構は自分でしか始末はできません。
ポアロを作ったアガサ・クリスティは、自分の遺稿としてポアロの死を書いた「カーテン」を遺しました。エラリー・クイーンもドルリー・レーンを服毒自殺させています。ジェットコースターにしても虚構の名探偵にしても、用意されている終わりに向かって進んでいきましたがそれがあると気付いて進んでいるのは、読者であり、ジェットコースターに乗ってる私なのです。このレールの先には終わりがあるのを知っています。
そう認識したとたん、私のジェットコースターには翼が付きました。私の虚構ですからそれを自分の虚構だとしれば、自由自在です。これで、次の坂で飛び上がれそうです。
墜落するのか、飛びたてるのかは私にはわかりません。
なぜなら、自分で高見まで上って来ていたにすらさっきまで気付いていなかった人間です。
「もうやめようよ、ポアロ」
「ノン!ここが肝心なのですよ、ヘイスティングス大尉!あなたは優しすぎる!そこがいいところなんですけれどもね、モナミ。いいですか、あなたのその灰色の脳細胞を使ってよく考えてください!」
しかし、速いジェットコースターに乗って高いところから遠くを見渡せば、カーブのたびに違う景色を楽しませてくれます。あっちはボタ山だらけの景色が広がり、こっちはコンクリートの町並み、次のカーブの向こうには、ごつごつした岩を剥き出しにした攻撃的な景色と飽きることがありません。
「ほらポアロ、海だ、気持ちいいなぁ」
「潮風はべたべたして嫌いです。ああ、せっかく手入れしたヒゲが垂れ下がってしまっています。もういきましょうヘイスティングス大尉、私にはこういう場所は似合いません」
「せっかく来たんだから、ちょっと泳いで行くよ」
「わかりました、私はホテルに戻っていますからまったく」
ポアロは足早にホテルへ向かうわけですが、途中で閃きます。
「ボン!わかりましたわかりましたわかりましたよヘイスティングス大尉!行きましょう!早く帰りましょう!帰りの汽車にはまだ間に合うはずです!急いでくださいっヘイスティングス大尉!なんでズボンを脱いでいるのですか!そんな場合ではありませんよ!わかりましたよ!あの狡賢い憎き殺人者がわかったのですよ!この潮風が教えてくれました!」
という展開がパターンなのですが、推理小説ですからね。
それこそここからジェットコースターのように謎解きが始まります。
そういう具合に何もかもが、あたかも定められた場所であるかのように、きちんと収まっていくことばかりなら素敵だけど、つまらないなと思ってしまいます。もちろん、現実は虚構のようにはいきませんし、収まらないことの方が多いものですし、そういう収まらないものを収めていくことで、器も広がっていくものなのでしょう。自分の器はどんなもんなのか知りませんが、少なくとも今の足下にジェットコースターのレールがあることは、その響きで感じています。
翼がもう少し成長したら、その響きは小さくなって、また少し成長したらまた小さくなって、そうしていつかレールの響きが聞こえなくなってきたらどんな気分なんだろうな、妄想しながら再び虚構の世界に逃げ帰るのです。
甘美なる夢の世界。
あー、今夜も遅くなりそうだー。orz
徹夜明けに食後なので激しく眠たい。。
9ボルト / 2007年2月15日

角型乾電池。
コンビニでもなかなか見なくなりましたが、一部では需要がすんごいあるのです。でも一個500円近くするし。高いし!
なので、なかなか使うのに躊躇します(せこい
小市民なもので、へへっ(卑屈
楽器系はこの電池が一般的です。電池ボックスの形と、電圧の事情がそうさせているらしいです。コンセントから電気を取るよりも安定しているそうです。あと、音のヌケが良くなるようです。
あんま気にしてないので、その辺はまぁいいかなと。
でも、この形は好き。
風が強い / 2007年2月14日
今日、春一番だとか。
早いなー。
凄い風と雨です。
降ったり止んだりを繰り返して、この時間には落ち着いた様子。いやー、昼間は凄かったこと凄かったこと。ベランダも雨でびしょびしょですし、下のベランダは水はけが悪いらしく、ちょっとした池になってました。誰も入っていない部屋なので、難はないとはいえ、随分降ったんですね。
しかし暖かい。
でも明け方は寒いです。今日も朝は寒かった(気がする
北側の部屋だから寒かっただけなのかなぁ。
まぁこれだけ天気の話に終始するのは、書くことがないわけで。そりゃ一日部屋にこもりっきりだったら、起こることも起こりませんし、出会えるものも出会いませんし、見られるものも見られません。かといって仕事のことを書いても面白くない系?うっそちょーまじで?おにやば系?
世間はもう水曜なんですってね。困ったものです。
金曜日までに仕上げなければならないものがあるのですが、終点が見える気配がなく、焦りが生まれて来ました。オギャアと泣けば全てが始まるこの世界。始まれば終わりがあるはずで、だんだん意味不明になりつつも、早く終わらせてしまいたいのです。しかしこの様子では、ギリギリまである種ギリギリかもしれません。
まぁそうは言っても週末には全てが終わっているわけなので、先のことを考えておいたら気楽なときもあります。
どたばた / 2007年2月13日
まるで演劇のようにドタバタの一日でした。
私はずっと机に居たのですが、電話に来客に新規仕事即〆切で更に複数の人が出入りして、ふっと息を付いたら既に夕飯も食べて、外は暗くなっていました。
う〜ん、全くもってやらなくてはいけない仕事が進まなかった。
そして結局夜に作業という羽目になるわけです。
ああ、音作りもしなくてはいけなかったのに、機材がそのまま床に放置されています。こんな時間から音を出すのは気が引けますので、明日にします。
今日の様子を客観的に観ていたら、面白かったと思います。
右脳とか左脳とか / 2007年2月12日
脳トレーニングが相変わらず盛んなようです。
根拠はよく知りませんが、どうなんでしょう。
私は、字を書くときは左手で書きます。絵を描くときは右手で描きます(最近気付いた)。柔道をやっていましたが、左利きでした。スノーボードも左利きです。ギターやチェロは右利きです。
こうやって列挙してみると、どっち利きというより「いい加減」と見えますね(笑
利き手で使う脳が違うから活性化ということなのでしょう。でもあんまり効果は無いと思います。
基本的に男性と女性で、脳は結構違います。
会話をする際に、女性は左右の脳を使いますが、男性は右脳のみと言われています。また脳梁と呼ばれる右脳と左脳を繋ぐ神経束の太さも女性の方が太く、よって左右の脳の情報交換が活発に行われています。
ところが、医学用語で右脳とか左脳とかはありません。
マイナスイオンと同じです。マイナスイオンもそんな用語はありません。
脳のことはまだわからないことの方が多いので、簡単にトレーニングできるものではありませんが、続けることには意味はあると思います。最近では、眠っている間に脳細胞が再構築されているらしいという話もあります。さぁどうなんでしょう。複雑な回路を作った結果、その回路が意識を持ったというSF映画がありましたが、脳細胞達が寄り集まった結果、勝手に意識が芽生えたのか、それとももともと猿から進化した二足歩行の人という動物が居て、そこに意識が入って来て操作しているのか、どうなんでしょう。
人間の肉体と、そこにある精神との矛盾が多いので、いったい何がどうなっているのかと好奇心をそそられてなりません。
最近どんどん温暖化が進んでいますが、二酸化炭素による温暖化というよりは、10万年周期で起こる地球自身の温暖化現象に過ぎないようです。巨視的に見ると、温暖気と氷河期を繰り返していますので、最後の氷河期の頃にアフリカ大陸からヨーロッパ大陸に移動して、凍り付いた千島列島やベーリング海峡を渡って人間があちこちに広がっていき現代まで来ているというのが、有力なようです。
途中、ネアンデルタール系の類人猿は絶滅し、クロマニョン系が残ったらしいです。
とはいえ、億年単位で残っている種は極めて少ないですので、人類にしても自然の流れ行くといずれ絶滅か、派生して進化していくかなのでしょう。人間とはいえ、所詮は自然の物の一つです。それが地球を破壊しているなどというのはおこがましい。地球のためのエコではなく、自分たちのためのエコです。人間がいくら地球を汚しても破壊しても、地球は困りません。環境が破壊されて困るのは人類です。私たちですし、私たちの子孫です。あるいは破壊された環境に適応できる種が生まれてくるかもしれません。人間が思っている程、自然は柔じゃありませんし、人間はどれだけ頑張っても自然に生かされている自然の一部に過ぎません。
だから、排気ガスまみれで暮らしていようが、コンビニ弁当だけを食べ続けていようが、それはそれでいいんじゃないかなと思えます。耐性も付くでしょうし、そうした環境が突然変異を促していくわけですし、今後の世代にそれが反映されていくことでしょう。
右脳を鍛えても左脳を鍛えても、ただの暇つぶしにしかならないかもしれませんが、それでも暇がつぶせたり楽しめたりするのなら、いいじゃんと思えます。
ちなみに、遺伝子的には女性の方が生存率が高くなるように設計されているようです。生命維持に必要な遺伝子を女性は二つ持っていて、片方が損傷してももう片方がそれを補ってくれるのですが、男性はそれができずに発病します。
性による差は、男性が思っている以上に極めて大きいです。
理系とか文系とか / 2007年2月11日
よく「理系」とか「文系」という言い方をしますが、いまいちピンと来ない表現でした。自分は文系だからそういう大学に進んだとか、理系だからこういうのはちょっと苦手という使い方をしているようですが、数字的なものが好きなら理系で感覚的なものが好きなら文系なのかな。よく分かりません。こういうよく分からない言葉は、まずその定義を調べるのが筋です。
というわけで調べてみたら、これまた結構曖昧で大まかな分類方法の一つでしかなく、そうして分類された「文系」や「理系」でもそれらの中での相互理解は全くなかったりもするようで、言葉に踊らされた結果なのかもしれません。一般的な理解としては「理系は理詰めで厳密さを求め、社会性に乏しいが、文系はその逆」という説明があったのちに、これらは基本的にステレオタイプな考え方でしかなく、個々人の性格を左右する物ではない、と書いてありましたが、イメージはイメージです。
高校の頃に、自分は文系なのか理系なのかどっちなんだろなと考えたことはありますが、それ以来なんとも思わずやってきました。プログラミングはアルゴリズムを考える際に理詰めで厳密に設計していかないとバグを生むので、言わば理系的な要素です。でも音楽や写真は理詰めで考えても面白いものは何も生まれませんし、理詰めで作ったものはその過程をたどれば誰でもたどり着ける結果でもあると言い換えられますので、音楽や写真などは感覚的にしか作っていません。
この文章にしても、思いつきで書き出してまとめていくようなものですので、文系なのか理系なのか判然としません。ということは、その理文系といった分類はどうでもいいものと言っても良さそうです。
ところが、自身の進路を決める際にこのどうでもいい分類分けを念頭に置いて考える人が稀にいます。好きなことであればいいのですが、周りから「おまえは理系だな」とか「文系だね」という他人のイメージによる言葉に左右されて見失う人も見受けられるのです。
まさしく「ステレオタイプな考え方で、個々人の性格を左右するものではない」ということです。
どっちでもいいし、なんだっていいじゃんね。
タバコの量が / 2007年2月9日

増えました。
無意識にくわえてしまってます。
これはいかん、というわけで、少し抑え気味にしてます。チェーンスモーカーの入り口です。
でも美味しいな、タバコ。
タバコの葉の香りが一番好きかも。
眠り病 / 2007年2月8日
春にはまだ早いですが、眠いです。
眠っている間に「眠りの小五郎」のように事件が解決していたら嬉しいのですが(眠らされてるだけ)、そうもいきませんので、がんばって起きているわけですが、プツッと意識がとぎれて30分落ちてたりします。随分前にも似たようなことがあって、そのときは椅子に仰向けに寝ていたので、まるで気を失っているように見えたらしく、周りを慌てさせました。そりゃ驚きます。
忙しいときほど、しっかり寝て、規則正しい生活を心がけなければいけません。と、言うのは簡単ですがなかなかできません。気がついたら午後11時とかで、それからご飯を食べて寝ようと思っても、なかなかすぐに寝付けるものではないので、結局午前3時とか4時になって、寝不足が続くのです。そして始まる悪循環。そういう意識があるから、昔の日記には起床時間と就寝時間が書いてあるのかもしれません。身体にとって重要なのは、睡眠時間の長さではなくて規則正しさです。理屈じゃわかってるけどー、なんつーか、難しい系?みたいな?
どこかの靴屋は、寝ている間に小人さんが勝手に仕事をしてくれて、ずいぶん楽をさせてもらったらしいですが(童話)、うちにいる小人さんは仕事をしてくれるのはいいのですが、結果が滅茶苦茶なので役立たずなのです。
困ったものです。
まず小人さんの教育から始めます(違
ちょっと一息 / 2007年2月7日
今日の日記はちょっと休憩です。
レコードいいね / 2007年2月6日
最近、とあるルートからレコードプレーヤーとレコードが集まってきました。たまたま手元にあったオーディオアンプにはばっちりPHONO端子というレコードプレーヤー用の端子もしっかりついていますので、そのまま使えます。
そして、30年前のレコードを聴けています。
聴くだけ聴いて、レコードプレーヤーの針を見ると、埃が溜まってます。
おお、これは30年分の埃だ。
しかしいろいろな音楽があるものです。なんじゃこりゃ、という音楽やカッコイイ音楽や、昔は斬新だったのだろうけど、教科書的な音楽になっていったものと、まさしく音楽の過渡期を表したレコード達です。
ちまちまとレコードの音をオーディオとしてパソコンに取り込んでいっているのですが、もちろんリアルタイムで時間がかかりますので、一つずつ丁寧に聴けています。いいねいいね、いい機会です。しかし凄い数。で、このレコードを見ると「昔のレゲエのレコードあるで」と言って持ってきてくださる方もいます。これもまたありがたい。
しかし、どの音楽も元はクラシックから発展していったものです。そこからリズムの取り方から派生して、ジャンルが生まれてプレイスタイルに応じてさらに派生して行き、現代音楽に至っているのです。というわけで、近代音楽の歴史の勉強にもなっていると言えそうです。
そういうと大げさですが、ほんといろんな試みを交えた音楽があるものです。
最低 / 2007年2月5日
はっと気がつけば、今年に入ってからずうっと仕事ばかりしています。最低です。最悪です。あり得ません。仕事なんて誰でもできますししていて当たり前です。こんなことではいけません。仕事があるのはありがたいですし、仕事がなければやっていけませんが、仕事に自分の人生の貴重な時間を多く費やすつもりはもうありません。もう十分費やしました。
とはいえ、締め切りは日々追ってきますし、仕事も舞い込んできます。
ありがたいことです。
いえ実際ありがたいことです。
それはそのままにして、如何に効率よく仕事をこなして自分の時間を作るかが大切です。今年に入ってから写真すら撮っていません。これではいけません。遊んでません。余裕がありません。全然いけません。衝動的に様々な買い物をしてしまいそうになります。
しかし、今月はすでにスケジュールはいっぱいです。
なんとかしなければと悶々とするいっぽうです。
かといって、焦りは禁物です。焦りは余計な仕事を増やします。そして仕事に縛られ常識に縛られ気がついたらつまらない人生になっているのは、良くある話です。
朝起きて顔洗って歯を磨いて飯食って仕事して飯食って仕事して寝るなんてつまらない人生です。それなら無くても同じです。今はそういう最低な人生ですので、打開しなければいけません。
写真は、おもしろくねーなー、というやつです。
いやはや / 2007年2月2日

節分を前にして、鬼に追われています。今、ちょっと振り切ったのでブログを更新です。
あっ
くそっ
まだ追ってくる!
逃げなければならないので、これにて失礼。
2月になってました / 2007年2月1日
なんと、気付いたら2月になっていました。
新潟市でまだ雪を観測していないというのですから、まいっちゃう気分です。大阪でも去年はこの時期ちらちら雪が降ったものですが、今年はまだ見ていません。まぁ天気の話なんてどうでもいいのですがね、最近のおかしな気候は存在感があるので、つい話題にしてしまうわけです。
ところで、今夜は満月です。
お月様見えるかな〜
と、夜の天気をちょっと気にしてみたり。
あ、また天気の話題です。
いけませんね。
そういえば、洗濯物を干しっぱなしにしてて面倒だからそのまま寝ていたのですが、夜中に雨降りアラームで起こされて、寒い中だというのに雨が降る前にと取り込みにいってそのまま眠れなくなりました。あ、これまた天気の話だ。
私には天気の話題しかないのか!
いいえ、そんなことはありません。話題はいくらでもありますが、そうやすやすとは出しません。出しませんよ。出し惜しみするからこそ値打ちも上がり期待も上がるというものです。でも出しどころを間違えると、大きく膨らみすぎた期待に対して期待はずれをさせてしまうリスクもあります。そのリスクがあるからこそ、面白いというもので、それが何に対しての面白さなのかはこの際スルーの方向で、とにかくネタがないというわけではないのだぞということを、強く言いたいわけです。あ、しまったこう書くと言い訳にしか読めないではないか。