努力という言葉の幻惑 / 2007年4月30日
自分が「何もしていない」と思うとき、「何かしなくては」と思いがちです。世間や周囲に置いていかれた感覚を味わったり、何もせず無為に時間が流れることへの罪悪感、心細さや打ち込める事を持っていない自分の将来への漠然とした不安感が、何かしなくてはいけない、という焦りを生みます。焦燥感です。
そうした焦りを紛らすために、しなくてもいいことに手を出して、それが我が人生の全ての如く思い込んで突き進むケースは良く拝見します。とりあえずみんなしてるし、欲しいものを買うお金も欲しいから、バイトでもしようとバイトを始めます。そうしてバイトをする日常が当たり前になり、バイトを転々としながらも続けているうちに、時間は経ち、欲しいものは手に入ったけどそれ以外に何か身に付いたのかといえばそうでもなく、ただ時間だけが過ぎていてバイト先で知り合った女性と子どもができて結婚しました、という想像すらできてしまいます。
焦りを紛らすために何かをすると、根本的に失敗します。
何かしなくてはいけないという焦燥感は、基本的に周囲からそう思い込まされていることがあります。
焦りを紛らすためにする「努力」も同様です。
自分で「努力してる」と思ってやっていることは努力してやっていることではなく、自分の焦りを紛らすことと、周囲へ「これだけやってます」ということを印象づけるだけに他なりません。自分で「努力してる」と思うということは努力していないことと同意です。努力という言葉は大嫌いなのですが、これは他者を客観的に評価する言葉であって、自分で言う言葉ではありません。「あの人は努力してるね」と陰で評価に使う場合には大変結構なことだと思いますが、自分で努力していると思ってそれを他人にいうのは噴飯の極みです。
努力はせずに、焦燥感を堪えて忍ぶのが肝要です。
そうすることで、自ずと物事の善悪美醜が見える畑ができていきます。その畑を更に肥やして種を撒いていけるか、それとも放置して荒れ野にするかは自身次第になっていきます。
また、人に対して努力しろということもたまに耳にしますが、それは己自身が「努力してここまできた」という言葉の裏があります。「だからあなたも私のように努力をしなさい」という気持ちがあるから、他人に対して「努力しろ」という発言に繋がっています。
努力なんていうくだらないことは一切する必要はありません。
しかし、自分がやりたいと思ったこと、思えることはそれが建設的で尚かつ美しく楽しいことであれば、全身でぶつかっていき全身で感じて、貪欲に学んでいく姿勢は必要です。これは自分自身の人生に対して真摯な姿勢です。
「努力」という言葉には注意が必要です。
中学、高校そして社会人 / 2007年4月27日
高校時代に美大志望だったのですが、少しずつ仕事が取れるようになったので、進学せずにフリーランスとして社会に出ました。最初の肩書きはイラストレーターです。親の脛をかじりながら。かじれる脛はかじりましょう。かじるのはよくない、と世間的常識的な人は口を揃えていいますが、ただのプライドにしかみえません。
両親ともに美大出身だったので、進学についてアドバイスを様々にもらいました。印象的だったのは「遊びに行くなら大学行け。腕をみがきたいなら現場に出ろ」といった主旨の言葉でした。当時は腕をみがきたいというより、勉強が面白くなく、仕事の方が刺激に満ちていて楽しかったので、そちらを選び現在に至るわけですが、結果的に正しかったと感じています。
研究職や医学法曹界ならいざ知らず、感覚的な方面に置いては美大音大ともに遊びに行く感覚以外に適切な表現が見当たりません。
仕事上、大手代理店と大手社員との打ち合わせに同席したりするのですが、双方が同じ大学出身と分かった瞬間に、先輩後輩の立場が生まれ、それが社会的立場の上下関係をも超越する結束力を生み出す瞬間に立ち会ったりします。
校歌や応援歌など歌い出したりされて、私は苦笑いをします。
大学での上下関係は、社会に出てからも根強く残るのが一般的なんだな、というのが私の認識です。
そういった意味でも、群れたり、暑苦しい結束の中に居ないで済んでいるのは、両親のアドバイスが如何に適切であったかを如実に物語っています。
会社に入るには基本的には学歴が重視されます。それが一般教養の判断基準として分かりやすいからです。特に何も考えず、周囲は大学へ行ってるし、そういうものだからと大学に行く人も多いようですが、この場合ですと中身を伴わないため、四年間がただの無駄になります。人脈ができたところで知れています。やがてそれはしがらみになります。
美大出身の人たちは芸術はこうあるべきだ、という前提があることがあります。これは受け手への配慮を欠きますのでその結果、ただの一人よがりになってしまいます。芸術の基本は作品に表現を託すことで「こうあるべき」という基準はありません。
昔、音大生でチェロを専攻していた人が150万円もするチェロを持っていたので弾かせてもらいました。
すっごく気持よく、クラシック系の楽器と値段は比例するんだなと実感したのですが、そのときの音大生が「バッハのその曲をそんな風に弾いた人は初めてみた」と言われ、戸惑いました。いいのか悪いのかはわかりませんが、その人の中では「この曲はこう弾くものだ」という頭があったということです。あまりにチェロの鳴りがいいので、弾きたいように弾いた結果、驚いたようです。
私も大学に進学していたら、そうなっていたか、あるいは先生と大喧嘩して辞めていたかのいずれかでしょう。
行かなくて本当によかったなと、今になって改めて痛感しています。その分の時間を自らの技術向上に専念し、如何に金を稼ぐかを必死に模索していたのです。
社会に出たら年齢に関係なく一律に社会人として扱われます。そうなると必然的に仕事への責任感に縛られ、値段の交渉や打ち合わせや提案、コンペなどあの手この手でお金を得る手段を模索していきます。
大卒の資格が欲しければ放送大学で単位を取って学士が得られます。また、社会人編入制度もありますので、大学の株式会社化によりこれも今後は更に間口が広がることでしょう。
社会に出た後も妙な結束感を出す大学の上下関係というのは、どうもピンと来ません。
同じ志を持ち、同じ学び舎に学び、夢を描いた仲間だとしても、学生生活に於ける関係は一過性のものであり、卒業後は各々が各々の道を行くというのが私の認識です。
それが急に同窓生に会った途端、気持ちは学生に戻るみたい。
偶然か必然かは感覚次第 / 2007年4月26日

昨日、所用で出かけて出かけた先で人と会い、いろいろ喋っていました。お互いなんだかいつもと違う雰囲気で、食い違いを感じながら少し後味の悪い思い気持ちを抱えながら駅に向かいました。
一緒に歩きながら、気持を切り替えようと考えていたら、ガード下に目が行きました。
「あれ?歩道橋の神様だ」
一緒に歩いていた人はその歩道橋の神様を私に教えてくれた女性です。
「え?こんなんだったっ。。ほんまや!」
雨が降っていたので、ガード下にいるのはわかりますが、三時間ほど前に通ったときはいなかったので、驚きました。
二人揃ってこういうことも滅多にないので、せっかくなのでまた観てもらいました。私はつい数日前に会ったばかりなので、良く覚えていてくれましたが、連れの彼女は半年ぶりになります。その半年間に様々ありましたが、その分がきちんと手相に出ているようで、熱心に話を聞いていました。彼女にとって不可解に映る私の行動は悩みの種で、そうした部分からの食い違いなどをさっきまで一緒に話をしていたわけですが、それについて第三者がスッキリと整理してくれたという印象です。
曰く太極図の如く明暗がくっきり別れた全く別種のものだけど、一つになっているということです。さらにいろいろアドバイスや興味深い話を聞かせていただきましたが、私は安心しました。
現実は良く理解していますし、すすまなければならない道も良く理解しています。そのためにどうすべきかということも、見えています。しかし動くために使える時間は限られています。その限られた時間で、しなければならないことをやっていると、それで終わります。効率よくスピードを上げてしなければならないことを速やかに終わらせると、その空いた分にさらにしなればならないことが入って来ます。その繰り返しをしていき摩耗していっていました。
世の中の全てがそうです。
全体の効率は上がりましたが、効率の向上は単純にコストの低下を招き、コストが下がった分を埋めるためにさらに仕事なり商品なり販売物の増加が必要になりましたので、効率は上がったけど売上は横ばいで、数だけ増えて精神的に疲れるという状態です。この状態で例えば病気をしたとすると、全て止まります。
そもそも効率化の目的は時間的ゆとりを作るためものです。本末転倒もいいところですが、効率よく色々できる人に大きな負荷がかかり、知らないできないわからない人が楽をしているのは、理不尽さを感じるばかりです。
世の中に良いように利用されるには、それなりの対価が必要です。然るべき対価を値切る文化は、ただの理不尽です。
高い安い、速い遅い、という相対的に分かりやすい基準で物事の善し悪しを判断する単純な考え方では、同じ場所から動くことはできません。しかしこの単純な考え方は分かりやすい上に多くの賛同を得られますので、支持されやすく、正義という言葉に置き換えられやすく感じます。多数の意見が正義という考え方は差別の根本に繋がります。民主主義は差別主義でもあります。
さて、歩道橋の神様の話は尽きません。
相似像の話まで出て来たのはちょっと驚きましたが、一通りご存知の様子です。そして「もう時間がない」と言います。こうした人たちが口を揃えて言うのがこれです。時間がない。本当に時間はもうありません。その無い時間の中でそれぞれがそれぞれにもっている役割を思い出して、考えて動いて表現していくのです。この役割は社会から与えられた役割ではありません。自分で選んだ役割です。
私と彼女が二人であの場所にあの時間に居たのは、理由があって居たのですが、普段行くような場所ではありません。二人で行動することも滅多にありません。そんな折りに二人揃って歩道橋の神様をたまたま見つけて観てもらったのは、ただの偶然です。
ただの偶然ですが、そこから得るものを見つけ、一連の流れを見ることができたならば、必然であったと言うことができます。
偶然が必然になるのは結果論に過ぎません。誰でもあとから思い返して「あのときが分岐点だったな」と思い至ることがあることと同様です。ですが、思い返した時にそれと気付くのと、その時その時点で「これだ」と気付くのとでは、出会いの質としては根本的に異なっています。
従って、偶然であれ必然であれ、出会いを見抜いて多くを得るためには、見極める感覚が必要ではないかなと感じています。
現実を無視した本気の模索 / 2007年4月25日

気が付いたら「従順で勤勉な馬鹿」になっていました。
あっ、これはいけない、と気付いたので本気で模索モードです。動かざる如、山の如しですが、動いたら牛みたいなもんです。
さて、そうした場合の方法論ですが、身の回りにあるツールや人間関係、およびその他、利用できるものは骨の髄まで利用させてもらうのが基本姿勢です。軋轢は移動の際の摩擦のようなものです。動く、という強い意思があってその意思に従って生きていきます。そこに浴びせられる言葉として「無責任」や「反社会的」「冷血」などいろいろ出てくることでしょうが、ただの罵離雑言に過ぎません。なんら影響を及ぼすものではありません。
究極的には罵詈雑言を浴びせられて死んでから後悔するか、やりたいことができない悔しさを抱えたまま生きて、死んでから尚も後悔するかの違いです。後悔することを前提にするのならば、何もせず何も考えずに生きればいいのですが、私はそんなに大人ではありません。爆発するなら建設的な方向への爆発を模索していると言えます。
楽しいと思っていたものは、ただの思い込みだったということに気付いて、ここまで来てしまったことを絶望し、痛感したのは打ち合わせ帰りの夜の公園でした。その場で涙が溢れ、ほとんどパニックでした。そのときは悔しさが勝っていましたが、改めて冷静にその悔しさの種を分析していくと、自分の思い込みで突き進んできてしまっていたという絶望感だったのです。
金輪際、あの感覚は味わいたくありません。
それに比べたら、他人の罵詈雑言など何でもありませんし、責め立てられようとも責めるほど責任感が強いならあなたがやって下さいと冷徹に鏡のごとく撥ね返します。
今の私の環境は恵まれています。相対的に恵まれている、という次元で恵まれています。恵まれているから、今の心境なのかもしれません。これまでの過程を振り返ってみると、恵まれた環境になったからこそ、考え方に余裕が生まれたとも言えそうです。
目先の仕事を黙々としていくだけの、くだらない人生は私ではありません。かといってアーティスト活動で食っていける度胸も腕も根性もありません。何もありません。それに負けて気が付いたら事実と現実と正論に染まり、灰色になりさがっていたのは、他でもない私自身でした。
しかしこれは悲観的な悩みではありません。そうした自分に気付き、世の中の幅を知る過程として必要だった時期だとも受け取れますので、建設的発展的にするか悲観して絶望して後ろ向きにいくかは、己の心次第です。ここには何人足りとも踏み入れることのできない、強烈なエネルギーの塊があります。人や環境を生かしたり殺したりできる強大なエネルギーです。
私はそれを知りましたので、持て余したり振り回されたりせず、有効且つ建設的に操作するのです。
従って現実を無視した模索になるわけですが、例によって他人からみたら突拍子もなく荒唐無稽に見られるだけでしょう。しかしこちらからみたら、社会的常識や道義的責任といった考えに縛られた人々がそれと気付かずに居る哀れさを浮彫りにするだけです。
私は私です。
私の人生の舵は私にあります。
誰であれ意見を述べるのは大変結構で、参考にさせてもらいますが、それ以上でもそれ以下でもありません。こうした考えを「現状からの逃避」と形容できますが、むしろ逃避できる勇気を称えられて然るべきとすら思えます。
いつまでも「従順で勤勉な馬鹿」を演じているつもりが、自分まで騙されていき、心は2年前に気付いていたくせに、それに素直に耳を傾けることができず、抜け出す模索を始めるまでに時間がかかりすぎました。あるいは必要があってここまで時間がかかったのかもしれませんが、波に乗って私は行きます。
活き活きと自分のための本当の人生は目の前にあります。
冬の時代の雪解けが始まり、やがて春が必ずやってくるのは自然の摂理です。
灰色はいつまでも灰色でいれば心地よいのかもしれませんが、嫌悪感が付きまとい、それはどうあがいても生理的に受け付けません。
まずは灰色の現実という、まやかしや思い込みや欺瞞を塗り潰すほどの極彩色で計画を立て道筋を付けて先に進みます。足元は真っ暗闇ですが、その先に光は見えています。たどり着いたその光はちっぽけかもしれませんが、暗闇を歩いて転んだり怪我をしたりしてたどり着いたちっぽけな光はきっと暖かくて美しいことでしょう。
人は揺らいで人となり、我が道を見付け、人々がそれを受け入れるか否かはそれぞれの人の問題です。善悪の二元論ではありません。主観的価値観の差異です。
きっとあと数ヶ月なのでしょう。
私は私の道を黙々と進みます。
そしてそれは誰のためでもない、私自身の人生です。
傷付いたり傷付けたりしても、すでに多くある脛の傷にまた傷が増えるだけで、いずれ癒えます。何か一つを決断すれば必ず誰かを知らずに傷付けるのは理ですので言うまでもありません。
私には見えています。
疼く原因 / 2007年4月24日
疼いて疼いて仕方ありません。昔の傷口のようです。痛痒い感じ。だけどちょっと心地よくて、思い出して疼くような。極端な寒暖は人の神経を不安定にさせ、衝突を増やすことがあるので昨今の天気のせいかな、と考えてみたりしますが、違います。
MacPro 8coreにFinalCutStudio2のツールとしての質の高さを見せつけられ、創作意欲が激しく刺激されたものの、現実はそう簡単なものではないという抑圧による疼きです。
もう少し複雑でもあります。
たった10年程で映像関連の制作環境は激変しました。また、それらの作品を受け取る形も大きく変わりました。音楽でしたらカセットテープからMDになってCDになり、現在の主流はデータです。映像もβやVHSからDVやminiDV、あるいはDVDになりBlu-rayに移行しつつありますが、同時にデータによる配信も徐々に広まりつつあります。作品一つを受け取って観るまでの媒体が多様になり、作品も情報も渾然一体になっています。
現在は、制作環境や媒体の黎明期から成長期に至る過渡期でもありますが、その流れの中に居ながら全体を見回していると、知識差と情報処理能力の差によって観ているものが全く異なっていることに気付きます。全ての媒体の情報を丸呑みに信じ込んで情報に振り回されている人も居れば、全ての情報を一旦自分のふるいにかけて、いくつかの媒体から一つの情報を取捨選択していく人といます。
取捨選択できる人は、そこに能動的に情報を収集する術を知っていますが、取捨選択のできない人は受動的に情報を受け取るだけの人です。こうした人たちの方が多いですので、話題作りができるのです。
某映画会社の会長が「媒体を持っているものが最後には絶対勝つ」と言っていましたが、まさしくその通りです。テレビやラジオなどはその視聴者の絶対数と受動的媒体という意味では有意です。また、放送法により定められた建前の信頼があります。インターネットの情報にはそうした法に寄る建前の信頼もありませんので、取扱には注意が必要なのですが既存媒体が危機感を感じているのは、その既存媒体の影響力が小さくなることではなく、既存媒体の嘘を暴かれることです。そして今までは比較的操作しやすかった情報の操作が一層難しくなり、媒体としての利権の弱体化を懸念しています。広告費の削減はその次の問題です。
ネット上の90%はゴミで10%程が有益な情報ですが、その絶対数は既存媒体の比ではありません。ここ数年のブログブームとアフェリエイトブームで、テキスト関連の情報数は爆発的に増えました。そしてSEOなどという言葉が生まれ、ビジネスモデルに組み込まれてあっという間に広まりました。SEOが広まったらどうなるか。全て横並びになるだけです。横並びになった情報は即ち「どれでも同じ」という次元になりますので、あとは受取手が取捨選択するものです。
テレビ、ラジオ、雑誌、新聞、ネットと媒体として分けることはできますが、ネットは媒体でもありインフラでもあると考えた方がネット以外の媒体にとっては建設的発想に繋がります。それを模索しているのが現在です。様々な試行錯誤が見て取れます。
さて、そんな中で私のように話題もなにもなく、ただ作品を作って出す側としては、その媒体が多く、様々な人に見てもらえることは極めて重要になってきます。音楽であればどんどんコピーして聞いてもらえますし、露出の機会が増えれば増えるほど、それはそのまま言いたいことや知ってもらいたいことを伝える機会が増えるわけです。
「著作権を守る」という大義名分で様々なプロテクトが施され、管理団体が存在しますが、これは根本に間違いがあります。著作権を守るというのは「その著作物が本来言わんとしている趣旨を守る」というのが根本なのですが、今言われている「著作権を守る」というのは「著作権ビジネスの利権を守る」ということになってしまっています。宮沢賢治の「雨にもまけず」が本来の趣旨から外れ、戦争教育に使われたことは国に寄る著作権の侵害と言えます。
著作者としては自身の作品が作品の趣旨とは異なった解釈をされ、意図していない目的に用いられたら、踏みにじられた気持ちになります。著作権管理団体はそういった側面では考えず、著作物利用に関して発生する使用料等の管理を行っています。
そうしてそこに利権が生まれ、その生まれた利権を守るために著作権を守るという大義名分を掲げ、声高に著作権を守る守るといい、YouTubeにガンガン削除依頼をし、著作権管理ガイドラインの制定を求め、CDやDVDにはコピーガードをつけて、どんどん使いにくくして行っています。
で、そうしたプロテクトによる使いにくさは、そのまま消費者にツケがまわってくるのです。プロテクトにかかる諸費用の分、金額も上がります。
制作側としては媒体が増えるというのは単純に嬉しいことですし、それぞれの媒体への垣根が下がり、さら制作環境もプロと同様のものが個人でも簡単に導入ができます。あとはノウハウとセンス。地上波デジタルが少しずつ普及して行っている昨今では、映像制作はフルHDで行いダウンコーバトして4:3に変形するケースが少しずつ増えてきていますが、それに関する機材の導入にかかる費用は既存のものからの置き換えになりますので、半端な金額ではなく、廃業する映像プロダクションも増えています。そんな中で重宝されつつあるのが、個人で映像編集を行っている人たちです。コスト的に個人事務所でもフルHDの編集環境を揃えることができるのです。撮影などになると、フルHDのカメラはまだまだ高いので無理ですが、レンタルで借りて来て利用したり、あるいはソースは提供してもらい、編集するというところが増えつつあります。
それで昨日、フルHDのカメラで撮った画像を50inchのプラズマで見て画質確認をしながら調整をしていたのですが、ソースからプラズマへの直出しは美しいのですが、地上波デジタルになると動きがあるところなどや、細かい葉っぱなど、やっぱりブロックノイズが目立ちます。美しくなったぶん、目立ちます。ガサガサした感じになるのです。個人的には4:3でも16:9でも画質などどうでもいい種類の人間ですので、新しい規格ができてそれに準じなければならないのは面倒臭いの一言ですし、ゲーム機などと同様に美しさばかりを追求して行くのは、新しい商品購入の訴求力にしかなりません。
それはまぁ世の中の仕組みなのでいいとして、手元に様々な制作環境があってなおかつノウハウもあるわけですので、これを最大限に活用して「人から受けた仕事をする」のではなく「自分の作品を作っていく」方向に行きたいけれど「社会的責任」や「世間体」によりそれができない自分、それをする「度胸も根性もない自分」に自己嫌悪を覚えながらも冷静にそんな自分を客観視して分析して「落ち着け」と言い聞かせているのが、疼きに繋がっているのです。
まだもう少しは大人のフリをしていなければなりません。
もはや波は見えて感じていますので、いつでも乗ることができるのです。
良き相方であり相棒という存在 / 2007年4月23日
私には良き相方、相棒が居ます。怒りっぽかったり、情緒不安定になったりしますが、ひたすらに恋愛をし、様々な価値観や感覚といった別世界を私に運んできてくれる、私の人生の一部になっている良き相方です。女性なので根本的な感覚が極端に違い、彼女のつむぐ言葉は常に刺激的で示唆に富み、私の世界観に新たな風を吹き込んで来てくれるので、すなわち私のアイデンティティの一部です。
その詩人でありアーティストである彼女の言葉一つ一つは他愛もなかったりしますが、言うときの表情や空気感は、私の感覚を強く刺激して新たな作品や新たな視点をもたらしてくれます。存在自体が刺激であり、人生の潤いなのです。
従って一定の距離を保ち、その距離があるからお互いに刺激を刺激と受け止めて、創作や発想になる糧をもらったり、また逆に与えたりしています。
非常に良好で安定的です。
とても心地良く、こうした関係を築くことができたのは、相手の懐の深さ故だなと、つくづく感じるわけです。
お互いの違いを違いと純粋に受け止め、刺激仕合い、結果的にそれぞれの道で切磋琢磨をする原動力になって居ます。
彼女との出会いから現在の関係に至るまでには、筆舌に尽しがたい衝突や非難の応酬、傷付け合いなど様々ありましたが、それらが糧になり絆を生む芽になっていたんだな、と改めて振り返ることで納得を得て、受け止め続けてくれたその相棒、あるいは戦友にひたすら感謝をするばかりです。
その結果として、私は私の道を見付け、彼女はそれに敬意をもって接するように心がけつつも、気を使いつつもなるべく傷付けないよいうにアドバイスをしてくれる、極めて特殊で、得ようと思っても得られない意見をくれます。
私の作品の全ては、彼女なしに完成はありません。
それを思うと、感謝という言葉では表しきれない大きな感動と、幸福感を常に感じ、これが繋がっているという実感をもたらしてくれます。
すなわち物理的な距離や思想的な物理などは意味を持たない程に、お互い影響し合い、共鳴しているという気になります。
大袈裟に言えば、時空など全く関与できない次元で繋がっていて、それが極めて自然な形に思えるのです。そして彼女もそう感じてくれているんだろうな、と身勝手ながら半ば確信にも近い感覚を得ることができます。不思議な縁で繋がり、途切れ掛けたり繋がりが強くなりすぎて依存しあったりといった模索の結果の現在の関係は、至福の一言です。
週に一回会って様々な話をして、また次に会うときまでに様々な変化がお互いにあるわけですが、その変化が楽しかろうが辛かろうが、お互いの糧になっていると思える一瞬一瞬は、なにものにも代えられるものではなく、一つ一つの出来事は全てがお互いの糧であり、アーティストとしての深みや表現の幅を広げるキッカケになっています。
従って今となっては、ただただ出会えたことに感謝しで、お互いのアイデンティティの一部を共有する、人生で二度と得ることができない貴重な相棒であり戦友なのです。
そう考えると、ただその存在には感謝の念が自然と生まれ、そこに居て自分の世界を広げて行き、教えてくれてありがとう、という言葉になります。
だから怒り狂っていようと、楽しんでニコニコしていようと、そうして喜怒哀楽を豊かに感じて生きているんだ、ということだけで、満足を得て安らかな気持になることができます。
そんな私は世界で一番の幸せものです。
この距離感が凄く凄く心地いいのです。
本当にそこに居てくれてありがとう。
胸を焦がす痛切な想い / 2007年4月22日
これが恋愛ならば素敵ですが、違います。先日アメリカで起きた銃乱射事件の話です。
殺された被害者の中にホロコーストから生き延びた人が含まれて居ました。ホロコーストは第二次世界大戦中、ドイツが行ったユダヤ人大量虐殺のことです。
ホロコーストを生き延びて、大学教授としてドア越しに撃たれながらもドアを押さえ続けて生徒達を逃がした、という生徒の話をCNNの記事で読みました。人の命が紙切れ一枚より軽かった時代を生き延びて、やたらと権利が主張される現代になって、これからを担っていく若者達を守りながら亡くなった教授の気持は想像を絶しました。
自動的に涙が溢れていて、慌てましたが、最終的に行き着いた結論は理不尽や怒りや憎しみではなく、この人はきっと幸せだったということでした。身を呈して守りたいものがあって、守った結果で亡くなったのです。
さて、第二次世界大戦はイタリア、ドイツ、日本が三国同盟を結び、アメリカを中心とした連合軍を相手に計画的殺し合いをした大戦です。お国のため、とか、名誉の、とかどんな言い方をしても殺し合いに過ぎません。ひめゆり学徒隊への自決命令があったかなかったかとか、南京大虐殺があったかなかったかとか、従軍慰安婦は強制だったかそうじゃなかったのかとか、全て過去なので真実は絶対にわかりません。過去になった歴史はねじまがるのが常です。十分な証拠がなく戦犯になっていたが無罪になって先祖の名誉が晴らされたなどと言う方は恥を知るべきです。結局あの時代に時代の常識に則って戦争に参加した人は、それが積極的であれ消極的であれ同罪です。なぜか。戦争が殺し合いだと知っていたからです。
凶弾に倒れた教授やそこで殺された人達は、一方的に殺されました。
犯人が韓国人と報道されたとたん、韓国政府は哀悼の意を表明し、韓国人への安全を呼び掛けました。その後、アメリカ国内ではヒュンダイ製のクルマが破壊されたなどという話が出てきたり、韓国は国内新聞の風刺画で「さすがアメリカ製拳銃」という旨の皮肉を掲載したりしています。
人間の嫌なところを見てしまいました。知っている見たくないところを見ざるを得なくて、見てしまった気分です。
あぁ、やっぱり人間ってずっとこうなんだな、と絶望も感じます。責任の所在が曖昧になったり、大義名分があったりすると、キャストが変わっただけで、また同じことを繰り返す気がしてなりません。
最近は報道と真実は違いますので、テレビでも新聞でも、それらの情報は鵜呑みにはできませんが、鵜呑みにする人が多いのでこうして世間や常識が成り立って行くのか、と知らしめられます。
結局、二次大戦も政府とメディアに国民が踊らされ、本気で鬼畜米英と叫んで竹槍を突き立て、それが常識になっていたわけです。
今も変わっていません。
鵜呑みにしている人は、マイナスイオンの存在を信じていますし、水にいい言葉をかければいいと信じていますし、捏造などもっての他だと思い、環境ホルモンが世の中のメス化を促していると思っているのです。
マイナスイオンなんていうのは化学用語にありませんし、効果など言うまでもありません。水にいい言葉をかけても結晶に変化はありません。水の結晶の変化は、凍結温度や湿度等で毎回変わります。捏造は企画や演出と言う言葉で製作現場では日常的に行われていますし、環境ホルモンがメス化の根本ではありません。ダイオキシンの毒性なんて吹き出物がちょっとできる程度です。
世間っておめでたいものです。
戦死して英霊と呼ばれている人たちが今の日本をみたらどう思うのかな、と考えてしまいます。殺し合いをするだけして美化して歴史を書き換えて行くのはどこの国でもいつの時代でも常です。ですが、そこから感じ取ることは時代によって変わってくるはずです。
そして、こういうことを具体的に他人に示すことができずに胸を焦がされて、痛切な気持ちに陥ります。世の中、次の世代に何事も受け継がれて行くものです。それが利権や哲学、技術など様々ありますが、良くないものもそれと知らずに受け継がれていきます。それを食い止められるのも、受け止める世代です。
それを考えると、痛切さが増すだけです。
ほとばしるエネルギーの塊 / 2007年4月20日
16年前の自分の日記を読み返すときに感じるのが件の表現です。なんだか凄いエネルギッシュで、あまり今現在の自分自身に結び付きません。
いつの頃からか、自分の中に箱を作り、その中にエネルギーが強すぎるものを入れて蓋をするようになりました。そして、理性が私に言い聞かせるのです。
「こうして箱にいれておいたら、またいつでも必要な時に取り出せるからね。今は我慢しよう」
この言葉に私は素直に従って、理性に情熱を渡しました。こうしておけば、他人を傷付けることなく、いい人で居続けられますし、結果的に嫌われることがありません。
でも、箱に入れてしまった情熱がいつでも取り出せると言うのは理性が言う嘘だということも知っています。箱に入れたそれは、箱に入れたら即座に燃え付き、灰になり、二度と取り出せるものではありません。最初からその箱を開けるつもりもありません。
つまり、私は自分の理性を騙し、自分自身も騙し、最終的に他人をも騙している卑劣な人間と言えそうです。自分で気付いていなければ気楽ですが、同時にただの馬鹿です。気付いていて尚、続けているから卑劣なのです。
私の理性は極めて頑強ですが、その理性を外から打ち壊そうとする外圧になり得るのは、私自身の過去の日記です。
そしてこの箱の存在を真っ直ぐ指摘してきたのが歩道橋の神さまでした。驚きましたが、成り立ちを説明されて納得しました。成り立ちがわかり、改めて分析した今の私にはそれを踏み潰すだけの強さがあります。
いつでもその箱を踏みつぶしてしまうことができるんだ、と思うと余裕が出てきました。もともと執着がなく、何につけても薄情と言われることがあるほどですので、踏みつぶして箱が無くなっても、何も感じることはなく、もともとなかったところに勝手に作り出した幻想が消えただけのことでしかありません。
それは、箱に限らず全てにおいて同様です。
目下の幻想は、世間です。気がついたら世間や社会の構成員の一員として澄ました顔をして居る自分になっていて、嫌悪感を覚えながら理性に従い責任を背負い込み、他人を傷付けず自分も傷付かない無難な道を進み始めていました。ところが脇道を見つけ、その脇道を横目に見ながら逡巡しています。脇道は真っ暗ですが、先に灯台の明かりが見えます。道は続いています。
今は立ち止まって、機が熟すのを待っている状態です。
無難に過ごしたい人はそうすればいいですが、無難は虚無です。虚無な人生で幸せや不幸せを感じた所で、意味はありませんしそれに気付いていないとすれば、惨めですらあります。
無難な人生に幸せを感じるような安易で惨めな人間ではありませんので、今は時期を見て感じて判断する時です。
そしてまた周囲に迷惑をかけて後悔するのかもしれませんが、後悔できるうちが華なのだろうなと漠然と思うだけです。社会の仕組みを知れば知る程うんざりする程のなれ合いと虚無と無責任と利権の塊というのを知りました。それをうまく利用する立場になったら、こんな楽な世の中はないぞ、と教えてくれた人も居ました。それはもっともです。ですが、そんな楽な世の中を利用するような人間になりたいと全然思わずに、嫌悪感の方が強く、利用する立場になるには自分を嘘で塗り固めて気持ちを殺していかないと保てないということを少しずつ知りました。
二枚舌はできません。
厚顔無恥にもなれません。
腹の探り合いは大嫌いです。
そういった政治的かけひきが好きな人やゲームとして楽しめる人がやって、世間をまわしていれば問題はありません。そしてときどき目立った人を人身御供として出しておいたら、世間は納得して澄ました顔を取り戻します。
世間は荒神のようなものです。
私のエネルギーは荒神を飲み込み、塵にするほどの余裕はあります。
相変わらず集中的に / 2007年4月19日
なぜにこうも幾つもの締め切り等が極端に集中するのかな、という事態です。それも、あらかじめわかっていた締め切りに輪をかけて、その二日前になってからボロボロと三つほど重なってきました。
ぶつぶつ言っても仕方ないので、これ以上酷いことにならないようにひたすら手を動かすのです。
で、手を動かして作っているといったい何をやっていたのか、ふと分からなくなります。あれ、何をやっていたんだっけかな、と記憶が飛びます。その空いた時間にこうして駄文をつらつらと書いているわけです。
後悔できるうちが華なのかなぁと思いながら、これでよかったのかなと考え込むこともあります。失敗も成功も同じことをただ繰り返しているような錯覚に陥りますが、時間だけは進んでいるわけですから、頭の中は混沌としていると言えそうです。常にそこには結果がありますが、その結果が成功だろうと失敗だろうと、どうでも良いことなんじゃないかとも思えてきます。その結果の連続を時間と呼び、経過して行くだけなのかもしれません。
と、無駄なことを考えていると、ポンとアイディアが浮かんで作業が二つ終わりました。あとやらないといけないのは何だったかな。と今は思い出す作業です。
非効率ですし無駄が多いですが、そういう作業の繰り返しなので非効率に見えるだけで結果的に出来上がるものは常に違うものですので、これで良いのです。効率的合理的に作業を行うようになったら、その質は均一化されます。それなら私が行う必要はなくなります。客観的に見ればどこが非効率な無駄な部分なのかが良く見えてしまいますが、無駄や非効率は要不要とは切り離して考えた方が良さそうです。その贅肉の部分は必要でそこにあることが良くあるからです。それを知らずに「客観的に不要に見えるから」と断罪し、スパスパと切り取るのは簡単ですが、きっといびつなものになってしまいます。
東の低い空に下弦の月が綺麗だよ、とメールが来て、とても見たくなったので屋上に上がってみました。それでも見えなくて悔しいので、さらに貯水槽の上まで行きました。足下は真っ暗ですが、周辺はビルやネオンサインなどに照らされて明るく、華やかです。
それでも、東の空に下弦の月は見えません。
今居る場所の一番上にまできたのに、周囲にはまだ高いビルがあって下弦の月を見せてはくれませんでした。自分の居る位置って、結局こういうところなんだな、と具体的に見せてもらった気分です。まだ上があることを漠然と感じながら、それを見ないようにしていてもフトした折りにその存在を見せつけられて、困惑するのです。周囲は華やかな明かりに、賑々しい人の声が溢れていますが、足下は光り一つない真っ暗闇で、手探りで貯水槽から下りて、階段を下りていきました。
下弦の月が綺麗だというメールで貯水槽の上までよじ上るのも酔狂ですが、観たいものは観たい、欲しいものは欲しいのです。その逆も然りで、見たくないものは見たくないし、知りたくないことは知りたくないし、欲しくないものは欲しくないのです。
という結論に落とし込むことを前提に書いていたわけではなくて、観たい月が観たい時に観られないのが腹立たしく、やっぱり生駒山腹に土地を買おうかという短絡発想に至るのです。この短絡発想は結構好きなのですが、周囲をぎょっとさせてしまうので言うのは控えた方がいいでしょう。そうでしょう。
無理ですよう。
歩道橋の神さま / 2007年4月18日
以前から、縁があったら観てもらおうと思っていた手相屋さんです。この手相屋さんを私に教えてくれた人が「歩道橋の神さま」と呼んでました。
その存在を聞いてから、是非一度は観てもらいたいものだと思い、近所を通る度にチェックはしていたのですが、手相屋さん自身がいなかったり、先客と話込んでいたりで、今頃になってようやく縁ができたといった感じです。
それで観てもらったのですが、凄いです。凄いというか面白いというか、気恥ずかしいというか。
完全な第三者にこうして観てもらって、ズバズバと言われてしまうと困ってしまいます。
両手を差し出すと
「失礼しますよ」
とおもむろに虫メガネで観察されました。
「ずいぶん変わった手相ですなぁ」
と言われました。そして一つ一つ線を示しながら丹念に説明してくれました。完全な客観的第三者が私の手の皺から分析を行っているのです。興味津々です。
手相屋さんの老人によると、私は「直感力が鋭くて霊的感覚もかなり伸びている」ということです。人からは「ただの変人」と言われるほど変わっていて、見ている場所が普通の人と違い過ぎているため、疎まれることがあったけど、最近は柔軟になりつつあるらしいです。でも柔軟さは今ぐらいでもう十分だとか。直感的に行動して、あとからそれを説明できるだけの論理性もあるので、バランスは今がいいということです。
老人さらにもうして曰く
「企画力や発想力に優れているけど、線がフニャフニャと何かに抑えつけられている。あなたの観る夢のほとんどが予知夢。直感で行動して人に理解されないことは多そうだけど、それは割り切ってしまって、人の考えに寄り添うのは今ぐらいで十分。普通の人には理解されない。ちょっと前の日本では認められない考え方を持っているけど、これから必要になる。非常に変わってる。」
示唆に富んでいて困ってしまいました。両手の皺を見せる以外は話を聞いて居ただけです。
この結果を、私に手相屋さんを教えてくれた人に話したら苦ぁい顔をされてしまいました。
これまで散々、私に振り回されてきた人ですので心中はお察しします。その時いつも一緒だった彼と顔を見合わせた気持もわかります。
でも、自信にはなりましたが結果的には自分を諌めることになっています。手相に自分の変人ぶりが出ているようではまだまだです。身を慎み、更に精進が要ると思った次第です。
直感は直感として大事にしますが、実行するかどうかは別次元の話です。それはそれとして、会話の上で様々な興味深い話をしてもらい、今までとは違った方面の着想もいただけましたので、とても有意義でした。
そんなことを思いながら、今朝の夢日記を読むとアドバイザーが出てきていたようです。そして、私に「頑張って」と言っていて、それに対して「せいぜいあと半年だと思えば気も楽です」と答えていました。
なんだこれ。。
それでもやっぱり夢は夢、手相は手相です。
文楽を観てきました / 2007年4月17日
初体験です。
無形世界遺産に指定されている文楽の人形浄瑠璃というやつです。
縁あってお誘いを受けたのを幸いに、行ってみたという程度で認識としては「三人で操り人形を操る人形劇」という、我ながら軽薄なものでしかありませんでした。だいたい、古典芸能は敷居が高いし喋ってる内容わからないから、難しくてイヤ、というクチです。歌舞伎や能も観ましたが、粗筋の説明や動作の意味は教えてくれましたが、やっぱり意味がイマイチわかりません。迫力はありましたが、次も行こうかということにはなりません。
そんな私が行っていいのかな、という敷居の高さは感じつつも行ってびっくり、舞台の上部に細長いスクリーンがあって、そこに字幕が出るのです。台詞をそのまま文字で出してくれます。意味が良く分かる。ただ、古い日本語なので読みなれていない人にはこれはこれで大変かもしれません。
客席を見れば、広い文楽座なのにガラガラです。日本人より外国人観光客の方が多そうです。会場では同時通訳ヘッドホンや、日本語解説ヘッドホンを配布してました。それだけ必死です。大阪と言えば漫才に目が向きがちですが、文楽もそうだったんですね。知りませんでした。また月末に観に行きます。
人形劇なんて稚拙なイメージが吹き飛ぶすさまじい迫力と、物語のなまなましさが伝わってきました。これは凄い。
ところで、文楽でも三味線を弾いている人がいるのですが、それを見ながら琵琶を想像してました。
べべべん
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
これは平家物語。
源平合戦です。琵琶に源平合戦と言えば、耳なし芳一。
耳なし芳一、今の若い人はあまり知らないかもしれません。いやまさかそんなことはないでしょ、とは思いますが。ギリシャ神話や聖書の話を知っているのに、日本の神話を知らないとはこれいかに。耳なし芳一は神話や伝説じゃなくて、小泉八雲が掘り起こした昔話です。ろくろ首やなんかも同様です。
ラブンツェルやカエルの王様、あかずきんちゃんはグリム兄弟が編纂した伝説を元にした童話で、おやゆび姫や人魚姫はアンデルセンが作った童話です。
「なぁ、雨やんだ?」
「ヤンデマセン」
軽くスベったところで滑らかに続けます。
琵琶を弾けたら面白いかもなぁ、と三味線を見て耳なし芳一を連想しながら、なんとなく差し押さえ品の競売物品を見ていたら(なぜ)、琵琶がそこにありました。
こ、これは呼んでる!?
とは思わずに、スルーです。スルーしたものの、気になってこうして書いてしまっている私は心の弱い愚かな人間です。モーリスのエレキガットギターを見つけて食指が動いてしまいましたが、いりませんいりませんいりませんとも。
競売と言えば不動産です。見てみると、あれ、実家の近所の土地建物が競売に出されています。見積もり額が6000万越えてます。あの場所でこの金額は有り得ない額です。あとは別荘用地として山の中がいくつか。区分が山林なのでこのままでは建てられません。鳥羽リゾートマンション権利書はちょっと気持をそそられましたが、維持費を考えたらゾッとして現実に引き戻されました。
閑話超休題。
文楽です。こういった芸能系は江戸からだろうなと思って調べていったら、やはり江戸時代発祥です。人形芝居に三味線が結びついて徐々に広まり、歌舞伎としのぎを削り、昇華されて行き、平賀源内により江戸浄瑠璃が完成されたということのようです。江戸後期にはほぼ現在の形になっていたようです。その後、歌舞伎の人気に押されて廃れつつあった人形浄瑠璃の伝統を引き継いで大阪中央区に座を作り、明治末期には文楽座が唯一の人形浄瑠璃劇場となったということです。それから戦争で焼失したり移転したりしながら現在の場所に落ち着いたということです。なんだか内部分裂などもあって組織としてややこしいことになったりもしたようですが、財団法人にして研修制度などを取り入れなんとか維持しているといった具合です。
現在では、大阪や東京、その他地方でやっていますので、機会がある方は是非足を運んでみては如何でしょうか。
http://www.bunraku.or.jp/schedule2007.html
当日にいっても余裕でチケット買えます。
地震と共振 / 2007年4月16日
先日の三重での地震では、大阪市内も揺れました。輪島といい三重といい、なんだかあまり地震では聞かない場所なので、ちょっとびっくりしましたが、昼時にも関わらず火災等はなかったようで、何よりでした。
大阪は震度3程度だったのですが、マンションの高い階に住んでいますので、緩やかな大きな波に乗った気分でした。見ると水槽の水が建物の揺れ幅と違う幅で大きく揺れて波だっていました。揺れに伴って波が高くなっていき、ついに水がこぼれ出てしまったのですが、おお、これが共振というやつか、と納得した次第です。
幸い、関東地方住まいが長かったので、地震慣れしています。震度4くらいまでなら、何度も実地訓練しているようなものですので、揺れ始めたら身構えます。揺れの状況によっては、扉を開けにいきます。
関西地方では地震が少ないと言われていたようで、地震慣れしている人はあまりいません。地震というと、阪神大震災に結びついてしまいますので、そのまま恐怖になります。無理もありません。芦屋周辺の学校の先生に話を伺ったことがあるのですが「一夜明けたら神戸が瓦礫の山」「校庭は遺体置き場になって、軽トラで次々に」といった惨状です。「冬場でよかった」などという言葉がさらりと出てきてしまうほどですので、その状況たるや想像に余ります。ボランティアで神戸入りした人たちも散々な目にあったようですが、ボランティアの数が減るとまずいので報道規制が敷かれ、具体的なことは報道されないままになっていた、というのも体験した人たちから聞き、愕然としたものです。
地震で一番怖いのは、建物の倒壊や火災より先に、パニックです。パニックを引き起こす切っ掛けは、人の声です。
叫び声。
叫び声を切っ掛けにパニックが起こると、次は阿鼻叫喚です。CM業界で叫び声は簡単に耳目を集めることができますので、ネタがないときに使われます。禁じ手でもありますが、要するに叫び声というのは本能的な動物性に訴えかける信号になっているようです。
東京にいた頃、蒲田の駅ビルで買い物をしている時に地震に遭遇しました。震度4程度で、建物は頑強ですがガラス製品などの棚が激しい音を立てます。女の子と一緒だったのですが、彼女は足がすくんでいます。とりあえず、太い梁の側によって、様子を見ていたのですが、あちらこちらから叫び声が聞こえてきます。控えめな叫び声だったことと、揺れが10秒もなかったので、徐々に落ち着いていきましたが、際どい雰囲気でした。人が多い中で、叫び声が上がったときの全体の雰囲気が出口に動いていこうとするものになっていました。地震より人の方が怖い、と思った瞬間です。パニックの手前です。
地震の時、山が近いと激しい音を聞くこともできます。ドーンと爆発音のような重低音を伴った激しい音が、山から響き渡ります。1984年の長野県西部地震に遭遇したのですが、その際に山から激しい爆発音を聞いたのを鮮烈に覚えています。このときは御岳山付近が震源で震度4程だったのですが、激しい土砂崩れが起きて30名近い被害者を出しました。
日本はどこへいっても地震がある国です。環太平洋造山帯のプレートの境目にある国です。全てのプレートは長野で集中して結合しているという非常に特殊な地理条件です。地震の備えは建物や家具にも必要ですが、心がけにも必要です。叫ばない、慌てない。怖いのは皆同じですので、それを助長しないように行動するのが大事です。ひと呼吸置いて落ち着いて冷静にすることで、周囲の恐怖を抑えて理性的な行動をすることができます。死ぬときはどんな備えをしていても死ぬもんです。
共振現象を見て、東京の地盤ってこれと同じなんだよな、と思い当たりました。そのままにしておいても水がこぼれまくって困るので、水槽に逆の揺れを与えて波を打ち消しました。同じ理屈が地震にもできたら、凄いです。三重県の地震では4秒程前に緊急地震警報が出せたということですが、もう少し早く地震発生予測をすることができたら、その地震波を分析して逆相の波を地震波にぶつけることで、地震のエネルギーをゼロに近づけるということを、あるいはできるようになるかもしれません。TNT爆弾などで爆風に指向性を持たせて、地震波発生直後に逆相波に相当するエネルギーを震源に向けるという理屈は成り立ちそうです。ノイズキャンセルと同じ理屈です。実用性や現実味は全然ありませんが机上の理屈では面白いなと妄想してしまいました。
しかし、能登半島の震度6強と三重県の震度5強の差は震度2と震度3の違い以上に開きがあることを思い知らされました。
M6.9とM5.4の差はこれほどまでに違うのか。
参考までに阪神大震災はM7.2。関東大震災がM7.9。
地震は恐いよ。
感じる心というものは / 2007年4月15日
感じるということは、能動的な気持ちがそこになければ感じることはできません。
空を見て、ただの空と思えばただの空です。でも空の高さを感じようとして感じられれば、空の上に宇宙が見えてきます。空色も様々な色に見えてきます。雲も同じようにただの雲は結露した水とエアロゾルの塊に過ぎませんが、様々な表情を持っています。それこそ何時間でも眺めていても飽くことがありません。
道ばたの花。
雑草。
虫。
雑音。
全てに名前を与えて限界を教えると、完結し、終わりになりますが、そこに感じたいという能動的な気持ちを付け加えることで、それらの脇役達は主人公となり、物語を展開してくれます。
ゲームなども同様です。今のゲームは様々な思惑が絡んだ結果、リアリティに溢れた迫力を伴った臨場感あるゲームです。やりだしたら面白いのですが、すぐに飽きます。何も想像する必要がありません。一昔前ですと、真っ暗な画面に白い点があれば、それは星で、いびつな形をした何かが動いていればそれは敵でした。描画としては稚拙ですが、その稚拙さを補うために想像力が必要でした。今のゲームは想像力が不要になり、過激さやストーリー性等が求められていますが、そこにゲームである必然性がなくなりつつあります。
能動的に感じる心というのは、想像力のことです。妄想力でも結構ですが、そこに「自分から感じていきたい」という主体性を持った行動が必要と考えています。感じる心は誰にでも最初から備わっていますが、それをどう使うかはそれぞれの人次第ですし、磨くも曇らせるも自分次第です。磨きたいという気持ちがあればそれは感じる心を能動的に働かせることに繋がります。そうした心を自分には持っていないと最初から思い込んでいる人、あるいは思い込まされている人、磨き方を間違えてただすり減っている人、様々な人がいますがそれはそれぞれの人の生き方でもあります。
さて、能動的に感じて得られるものは、想像力による物語だけではなく、恋も同様です。私のように勝手に誰かに恋をしてその距離感を楽しむのも一つの形です。
世の中こういうもんだから、と自分の想像力や主体性を無視してそれがあたかも自分自身で行ったかのように、自分を騙して過ごすのもなかなか結構なことではありますが、そうした場合、あとで後悔できればマシな方で場合によっては死んでも同じことを続けて行きそうです。
意識を持ち進化して社会を作り、安全に生きて行くことができるようになった現代において、人間以上に自由な生き物は地球上にいません。人間というのは思っている以上に自由な生き物です。それを手前勝手な常識や正論で真っ平らにされてしまっては、生きている意味が「社会の歯車」や「経済活動の一環」にしかなりません。
謳歌できるうちに謳歌しておかないと、あると思っているものは全て無く、無いと思っているものはある、ということになります。
一寸先を闇にするも光にするも、自分次第です。感じる心があるうちはいいのですが、巌のように凝り固まってしまった後では、手の施しようがありません。感じる心があっても、それを素直に表現できる心がなければ、感じる心がないことと同じでもあります。そうして感じて感じたことを表現するのが人間として自然ですし、それがとても美しく思えます。
頭でっかちの盲や唖の大人が多い世の中で、感じる心を肥やしていくと、とても沢山の傷が付きます。でもその傷は感じる心を更に敏感にして世界を広げてくれるものでもあります。傷付いたからといって感じる心を閉ざさずに、余計に広げていけるようにできたら、どんどん広がって隅々まで行き渡る感覚を知ることができます。
感じる心は脆く儚いものですが、自分の命そのものとも言えそうです。
昔からそこにあった流れに再び乗るとき / 2007年4月14日
ご都合主義の手前勝手な私ですが、どうやら再び流れに乗ることができているようです。
先日、某所の公演に縁があって誘われて行って来ました。相手の急な用事で、約束の時間には現地に着いていたものの、1時間半程も身体が空いてしまい暇になりましたので、見付けた古本屋に入りながら、近所に住んでる友人のことを思い出して連絡してみたところ、普段は夕方は忙しい人なのでなかなかタイミングが合わないというのに、この日に限ってたまたま空いてるから、それじゃ会ってお茶しましょ、ということになりました。
古本屋でふと目に止まった「仏教概論」という古臭い本を購入して、お茶をしながらいろいろ喋っていたところに、最初の待ち合わせ相手が今度は時間通りにやってきました。二方とも女性ですが、いつか紹介し合えたらいいなと兼ねてから思っていた私としては、これは流れなんだな、と感慨深い気持になりました。
女性同士の気持は分かりませんが、タイミングが違えばややこしい想像を逞しくされることでしょうが、そういう感情を解脱している人です。実に気持よく、清々しく、なんとも言えない幸せな時間になりました。男女の友情を理解できないという人はよくいますが、それは自分自身の行動結果や経験からそのように判断しているだけのことで、本当は人間同士でしかありません。性別の違いや価値観の違いは大きければ大きいほど、刺激をもたらし、糧となってくれます。
その糧と恋は別です。
私は私ですが後から来た女性ももはや私の一部であり、また私もその女性の一部なのです。そしてそういう時期になって初めてたまたまタイミングが合って、こうして相まみえる時間をいただけたということには、自然と感謝の念が生まれていました。
奇遇ですし、ただの偶然ですが結果的に必然なのです。
何気無く手にとって買った仏教概論も、読んでいくと今まで考えていたことや、たまたま興味が向いている方向について説明をしてくれていますし、奥付けをみると昭和26年発行の下に、これまたゆかりある地名が載っていました。
あぁ、流れに乗りつつあるんだな、このままがいいんだな、と改めて自信と後押しをもらった気分です。
ご都合主義だろうと身勝手だろうと、ただの言葉にすぎません。人が口にするただの言葉は、ひがみやそねみ、妬みや計算などの腹が透けて見えます。そんな言葉一つに振り回されて自分を見失うのは愚かですが、渦中にいる際にはそういった事実に気付きにくいものですし、感受性が豊かであればあるほどそうした言葉に惑わされ振り回されていき、数年後に気付いて後悔して、責任転嫁するのが常です。
我は我としてここにあり、
二極をもって常に一つであり、
それに気付くことで、我が道を得て、愚鈍ながらも進むことができる自信と後押しを実感して、その道を歩んで行くことができそうです。
私は幸せ者です。
そして更に磨きたいと思える人にも出会えることができました。
これが私の選んだ道です。
HighでもLowでもなくマイペース / 2007年4月13日
のんびりマイペースでやっていたら、怒られました。
世間様に。
ひぃっ、ごめんなさい。
世間様って厳しいなぁ。
本当は怒られてなんかいませんが、なんだかこんなことしていていいのかなぁ、という罪悪感がそういう気持ちにさせてしまっているのかもしれません。そんな自分に騙されてはいけません。と、言っているのは自己弁護なのかもしれないな、と妙に葛藤してしまいますが自分を信じるのも大事ですので、焦らずじっくりが肝要です。
そんな自分を置いて、周囲は速かったり遅かったりしますが、振り回されずにマイペースを維持して行くのが私です。イライラさせたり、イライラしたりすることはよくありますが、やっぱり歪まず真っ直ぐ足下の見えない道を転びながらでも進んで行けた方が、いいと感じています。
繋がってはいるけど、全体としては個々人とは全く無関係に進んで行くのが社会ですし、そういう視点でみたら社会こそが究極のマイペースと言えそうです。社会のペースに合わせて生きていくのは自分のペースではないので、つま弾きにされてしまうのかもしれません。いつまでも「社会ごっこ」や「政治ごっこ」には付き合っていられません。私には私のペースの私の人生があります。
悪いことに、こう放言してしまうと社会のペースに合わせている大人達に「自分勝手」「わがまま」と後ろ指をさされます。これはちょっと具合が悪い。私にも世間体があります。世間体を意識せざるを得ないものがあります。なので、世間体を維持するために世間を騙すだけの努力はしますが、それは全て騙すための嘘に過ぎず、その嘘に自分まで騙されないように気をつけるというのが目下の課題と言えそうです。
これが意外に難しい。
嘘をついてその通りに行動していると、まるでそれが真実のように思えて来ます。真言っていうやつです。ときどき「有言実行」と言って得意がる人が居ますが、そう言う人は己の限界を既に見切っていて出来る範囲でしか物事を言わないので、広がりが無くこぢんまりしてしまっています。自分で境界線を作って「自分の限界はここまで、だからこれ以上のことは言わない」ということです。
真言の真理は嘘ですし、有言実行の根本は夢の消失です。
こういった言葉とそれに付随するイメージに囚われず、もっと自由に色々な角度から色々な物をみて、色々なことをやって、色々な複雑な気持ちを得ていけたら、それはマイペースです。
そんなことを言っている今も、既に過去になり、過去になったらその前後は曖昧になっていき、今現在以外の過去と未来に何の違いがあるのだろうかと考え込んでしまいます。
とはいえ、下手な考え休むに似たりですので、頭も手も身体も動かして日々感じていこうというのが目標ってところです。
欲しいものが手に入ったらどうなるか / 2007年4月12日
満足を知り、次の不足を見つけます。
更に高みを目指し、次に欲しいものを見つけるために今の欲しいものを必要をしていきます。物であれ、質であれ、人間性であれ、なんであれ、十分な満足を知って、更なる高みがあることを知り、そこを目指したくなります。
ただ闇雲に欲しがるのは、貪婪といいます。
そこには更なる高みへ、という目的があります。これを切磋琢磨といいます。この場合、その高みへという欲求を生み出す動機は、欲望ではなくて好奇心でないと道を誤ります。
今の環境や関係というのは、流れの中の一環に過ぎません。周囲の人々と自分を比べて「自分はこのままでいいのだろうか」と悩みがちですが、人は人、我は我です。自分のペースで自分の気分で好きなことを好きなようにやるというのが流れを生みます。その流れを塞き止めて、周囲と自分を比べて負けてられないとばかりに張り切って突き進んで行った結果「これでよかったんだろうか」と後悔しても時既に遅しです。その時には既に歯車の一つになり、身動きは取れません。それとて自身で選んだ道ですので、責任は自分です。その後悔は他人ではなく自分にぶつけるものですが、矛先がこちらに向いて来ることもありますので、そういう場合は要注意です。
人はとかく他人に合わせたり、他の人と自分を比べてしまいがちです。
しばらく付き合いしていると
「こっちは合わせてやってるんだから」
とか
「あのときあなたに会わなければ」
などと言い出されたら、うんざりしてしまいます。合わせてくれと願っていませんし、会ったのはたまたまでそれに影響を受けたとか受けていないとかはこちらからはわかりません。自分の流れを知らず、他人の流れに巻き込まれただけと一蹴して蹴散らすこともできますが、やっぱり合わせてもらって悪いなとも思ってしまいます。そうしてねじ曲がって行く自分は、ねじ曲がった分、勢い良く反動を付けてもとに戻ろうとする力が働きますので、あとから大変なことになります。なので気をつけて自分の流れを見失わないように、落ち着いて自己対話を繰り返しするように心がけています。
そんな私を見て
「あなたは柳に枝折れ無しって感じだね」
と評されました。どんなことがあっても、その時にはバタバタとなびいて葉が飛んで行ったり傷付いたりしても、その風が通り過ぎたら元通り、ということのようです。
闇雲に貪婪になったり、欲望だけで動く時期もありましたがそんな時期は不要です。人間であるだけで、すでに貪婪で欲望の塊でもあるわけですので、あえてその道を行くのは普通の平坦な道です。可もなく不可もなく、面白味もなく刺激もなく、なにもなく、従ってその人生に何の意味があるのかわからなくなる、そんな道です。
私が見つけた道は、遠く彼方に灯台の明かりが見えますが、足下はよく見えません。でも、彼方に明かりがある以上、道は続いていると信じてゆっくり歩いて行っています。絶対にこの道は楽しいのです。絶対にこの道の先には美しい湖が広がっているのです。
何事も思い込みから、自分を騙して、欲しい物を手に入れ次の上を目指し結果的に切磋琢磨に繋がり周囲から見たら「努力している人」と勝手に評価される、という具合です。
今まで努力などこれっぽちもしたことはありません。そんなつまらないことは大嫌いです。好きなこと以外の勉強も大嫌いです。嫌いなことはしません。好きなことだけをしてきて今があるので、問題なしです。そして、私の人生を人は羨みます。羨む人たちがいるから、私の人生が成り立っているのです。
感謝です。
欲しい物が手に入っても、その更に上の欲しい物、目指すもの、目指す品質を見つけ続けることが出来る限り、永遠に欲しいのです。
この気持ちを忘れたり、枯れたりしたときは、柳も枯れもう葉を付けることもありません。
欲しいものは手に入らないから欲しい / 2007年4月11日
ゲーム大好きだったのに、最近とんとご無沙汰です。
一時期は発売されているゲーム機全てを持って、あらゆるゲームをやっていましたし、MMORPGなどもDIABLO2では廃人になり、FFXIオンラインやリネージュ、タントラ等片っ端からやりまくりましたが、今は全然です。反動か?と思う程にゲーム離れしてしまいました。一つのゲームを続ける集中力が無くなったのかな?とも思えますが、ゲームをやって楽しんだあとに後悔するようになったのがゲーム離れの切っ掛けのように感じます。そこで、手軽にいつでも楽しんで途中でも簡単にやめられるDSで楽しもうかな、とDSもいろいろ手を出しましたが、やはりやるだけやってみたものの、その後の後悔はついてきました。
あー、面白かった。
で?
みたいな。
2時間ゲームするなら、2時間スタジオ入るなり、楽器を弾くなりしていた方が楽しかったかもしれませんし、後に残るものもあります。まぁまぁそれでもゲーム楽しもうよ、とXbox360も買おうと思い、いざ買い物となったのですが、そのお金を使うなら、活動資金にしないの?そのゲームをする時間があるなら、物を作らないの?と自分に言われました。
「ちぇ。それを言うなよ」
と、昔は無視していましたが今はもうその言葉の意味が良く分かります。ゲームはもう楽しむだけ楽しみました。MMORPGも、ビジネスモデルに組み込まれてしまい、本来あったMMOの意義が失われてしまい、ゲームとしての面白さはなくなりました。映画はその手法に学ぶことはあれど、それ以上でもそれ以下でもありません。観てないDVDが山のようにありますので、これはそのうちまた少しずつ観ることでしょう。本も少しずつ読んでいます。あれだけ本の虫だったのが、今は他人の作品を観るのは学ぶ時という姿勢になってしまっています。楽しめていません。きっと焦っているだけで、またいずれ楽しめるようになることでしょう。
テレビは学ぶことはありません。昔はCMが良い教材で、CMばかり観ていましたがもう不要です。番組は番組で、バラエティばかりの馬鹿騒ぎが益々酷くなっていますし、今さら捏造がどうのと言っても制作とはそういうものと思って良く知っていますので、関テレさんは御愁傷様です。人身御供を用意しないと世間が納得しないので、体のいいスケープゴートにされた格好です。そしてもんたみののような人が日本の正義面して「不二家は廃業すれば良い」と断罪してあとからTBSの捏造疑惑の際に「励ましのつもりでいったのです」というわけですから、バカらしいうえにそれを観ていた視聴者達をもバカにしています。そしてバカにされていることを気付いていないという始末ですから、困ったものです。
こうやって厭世的になりながら自分で作った繭の中に入り、透けて見える外の世界を眺める気分に浸るのです。そのまま繭の中でカラカラに干涸びて何にもならず死ぬか、自分の力で繭を破って広がれるかは、いずれの道も自分次第です。私だけではなく、みんながそうだと思っています。繭を作る人もいれば、作れない人や作らない人、それ自体を知らない人といろいろな人がいます。
さてそれで、物を作るにあたって先般からReMOTEというキーボードとNRV10というミキサーが欲しいなと思っていたのですが、これも考え直すに至りました。今ある道具で出来ることをやるべきではないかな、という結論です。
結局のところ、欲しいのは時間と空間です。
このまえたまたまハリポッターの「なんとかのなんとか」を観ていたのですが、ハーマイオニーの持っていた時間を戻せるペンダントが素敵でした。キャストの皆さん、ずいぶん大きくなりましたね。スネーク先生が一番好きです。
それにしても最近、なんだか愚痴っぽいなぁ。
切ない夢 / 2007年4月10日
とても切ない夢を見ました。
細い絹のような糸でわずかに繋がっていた縁が切れてしまったことを示唆する夢に思えてなりません。
まぁ夢は夢ですので、その辺は切り替えて。
何事も思い込みからです。自分を騙すことから始めるのが肝要です。恋も似たようなもので、外から見てると「なんでこの人にこれ?」という組み合わせでも、本人達が自分自身を騙し合って恋愛ごっこを楽しんでいるわけですから、良い影響があるならば人生の過程としてはありなのかなと思います。
そんなことをつらつらと考えているうちに、ハードディスクを拾いましたので、それをバラバラに分解しながら川沿いの道を歩いて行きました。そうやってしばらく川面を眺めつつ歩いていたら後ろからおばさんに「落としてますよ」と声をかけられました。今までバラバラと落として来たハードディスクの部品をわざわざ拾ってあとを追いかけてきたようです。
おばさんの旦那が聞いてきた。
「私の役目はなんですか?」
「家を建てて子を育て家庭を育み国民の義務を全うして国家の歯車の一部になることです」
「そうなんですか」
「自分が傷付かない生き方を自分で選んで生きて来て、ここまで来ているんですからそう見えます。気付かないうちに自分まで騙しているんです。そんなちっぽけな幸せでも、幸せを感じていられるなら平和で良いんじゃないですか。毒にも薬にもならない、あってもなくても一緒の人生ですけど」
「私はどうしたらいいでしょう」
顔色を変えて聞いてくる。
「知りませんよ、そんなことは。好きにしてください」
周囲は真っ暗な階段になり、壁には様々な時計が無数に掛かっていて、バラバラの時間を刻んでいる。階段は螺旋を描くように下へ下へくだっていて、その先には楽しげに歩く少女がいた。
男は遠くに居る少女を指差して責めるように言う。
「彼女はそのことを知っているんですか」
「いいえ、彼女は全体の一割しか理解していませんが、まだ若いです。下地も良く素直に響きますので、これから磨きます」
少女は遠くから見返してきた。
男は疲れ切った顔になって、肩に担いでいた大きな杉の梁を降ろした。
これは件の切ない夢とは違いますが、問答をしている男も私も自分でした。
まぁ夢は夢ですので、その辺は切り替えて。
大阪国立美術館で今週からベルギー王立美術館展をやっていて、何点かマグリットもあるようなので、行って来ようと思っています。またなんだかんだで会期終了ギリギリに行くことになりそうですが。大阪天王寺の大阪市立美術館ではギメ東洋美術館所蔵の浮世絵名品展というのもやっているそうなので、こちらにも行ってみたいところです。浮世絵はあまり好みではないのですが、屏風絵や掛け軸もあるようですので、せっかくだからというところです。
くそったれがやる気がでねぇんだよ / 2007年4月9日
もともと口は悪くて短気で怒鳴る方です。なので、普段はそういうのが表にでないように気をつけています。そう思うようになったのは高校の頃からなので、長いこと客観的に見て「柔和で紳士的」に見えるようにしていますが、その甲斐あってか「落ち着いて飄々としている」という評価をいただくことができるようになりました。深い付き合いをしている人は、その違いを良く知っているので、鼻白んだりしますが、まぁまぁそこはね、ほら、距離感が必要じゃないですか。
先日、中学の同級生に自分の当時の印象を聞いてみましたが「すごい怖かった」と言われました。うーん、そうだったのかと改めて思い返して見ても自身ではそうだった記憶はありません。でもきっと地がそれなのでしょう。そこへ年代を経るに従って変わっていって現在に至っているわけで、外から見たら別人のようでも、自分の中には納得できるだけの連続性があるはずです。
そんな私のことをよく知っている女性と食事に行きました。
サラリーマンが集うお店なのですが、昼食時が過ぎたあとなので店内はガラガラでゆっくりしています。可もなく不可もない食事を食べ、というより摂取してレジへ立ったのですが、会計になったらおじいさんがレジの前で固まっています。お金を出して釣りを待っているのですが、何も言わない何もしない。
どうしたのかな?と思って、レジの上に手を置いて顔を覗きこもうとしたら、
「これ、今日入ってきたばかりの機械で使い方がわかりまへん」
と言います。おいおい言い訳が先かよ、とここで頭に血が上ります。
すると、一緒だった女性は雰囲気を察知したのか、釣りが要らないように小銭をキッチリ出して
「はい、これで。ごちそうさま」
と言って促しましたので、店を出ました。
おかげで怒らずに済みましたので、一緒だった女性には悪いことをしましたが、感謝です。
レジにいたおじいさんは、おそらく60代前半から中頃の年代です。この世代はこれから世に溢れかえります。そして「最近の若い者は目上への口の利き方を知らん」とのたまうわけです。大体、駐車場、警備員などに多く、愛想がいい人はいいのですが愛想を知らない人はとことんまで知らないという両極端です。警備員とは何度か揉めていますし、犬の如く外で放尿する酔っぱらいを警察に引き渡したときもこの世代です。「命張ってんねん」と言う警備員や「機械はわからない」と言い訳ばかりする店員は、他に行くところが無くてここにいるという人たちです。
この世代が生まれた時代は戦中〜戦後です。
それを思えば、許せます。
教育格差は大きく、都市と田舎の格差も大きく、従ってできあがる人間の格差もこれほどまでに大きい訳です。私の知っているこの世代は、もっとバイタリティと知恵と教養に溢れ、器の大きな人たちばかりです。ところが街中で出会うこの世代は、上記のように人間性を疑いたくなる酷い人たちが多くあります。高齢化社会で出てくる弊害は、言われているより深刻かもしれません。
温暖化や地球そのものの未来には全く悲観していませんが、日本そのものには悲観しています。楽観できる材料が今のところ何一つ無いのです。先人達を見習おうにも、見習える先人は極めて少なく、それならば見習える先人から技術や知識や考え方を取れるだけ取り尽くして、それを次の世代へ的確に伝えて染み渡らせる方が、楽観できます。
「イージーでしょうもない世の中やで、ほんま」
とは60歳手前の、とあるミュージシャンの一言です。ずっとその「しょーもない世の中」に調子を合わせて来た人です。喋っていてポロリと零れ出る本音は、重みがあります。結局、サラリーマンだろうが会社経営者だろうが、搾取される側に過ぎませんが、この人は30歳前後にそこから自力で抜け出し、現在までやってきています。そこには「凄い」では片付けられない重さがあり、とても深く考えさせられます。
そういうことをぐるぐる考えると、件の「くそったれがやる気がでねぇんだよ」という暴言になります。仕事して寝て起きて仕事して寝て起きてというのは慣れっこですが、2年前から少しずつ歯車がずれていって、去年の秋口に完全に食い違いました。今はその食い違ったバランスの上でなんとか維持していますが、このままでは違うというのはわかっています。死んでから後悔しても、また同じことを繰り返しますので、行動しなければなりませんが焦っては事をし損じます。今は時期ではありません。しかし、一瞬の次にはまた次の一瞬が来てしまい、私を焦らせます。
仕事に対して全くこれっぽっちもやる気が出てきません。
やれやれ、困ったもんだ。。
変わるのは悪いことじゃないけど残酷だな / 2007年4月7日
気に入ってときどき行っていた古本屋がありました。間口は広く、本がうずたかく積まれていて、店主は常にレジの向こうで読書に耽っていて、特に商売気があるわけでもなく、明らかに好きでやってる雰囲気で、のんびりしていました。ちょっと奥には本と本の間に椅子と大きめのテーブルがあって、隣の喫茶店からコーヒーを頼んでくつろぐこともできました。店主自身も店を空っぽにして喫茶店やコンビニに行ったりしていて、なかなか適当な古本屋で、ブックオフみたいにずっと何か音が流れているわけでもなく、いかにも古書店然としていました。
その古本屋が、半年程前からシャッターが下りっぱなしになっていて、気にはなっていたのですが、先日前を通ったら更地になっていて、売却地と看板が出ていました。
あぁ、ここもなのか、と諦めとも似たような感覚になりました。
想像するに、ここの土地と家屋は店主の身内の持ち物だったのでしょう。その方が亡くなったか何かして、相続にあたって相続税を払って土地建物を相続したとして、趣味的な古本屋だけで固定資産税や家屋の改善維持及び水道光熱費各種生活費などの捻出は厳しいのが現実だったのでしょう。立地条件はかなりいい方ですので、売ってそのお金でしばらく暮らしながら職探しかな、という気がします。もったいないなと思いますが、現実は現実ですので仕方ありませんので同じような次元で少しずつ街の景観が変わっていくのは時代の流れです。
朝っぱら(朝8時半)からクソやかましい選挙カーのがなり声を聞きながら、市井と政治屋の感覚の乖離と現実と理想の大きな溝を、具体的な形で見せられた気がします。
もったいないという感情だけで、現実を無視することはできません。もったいないと思うならそれに代わる代償を支払わなければならないのが現実の社会です。
先日も、様子のいいお店に連れていってもらったのですが、そこは大正〜昭和初期に建てられたであろう普通の民家の一階部分と土蔵をちょっと手をいれて、食事屋さんにしているところで、最近ありがちな「作られた雰囲気」ではなくて「趣きある醸造された」というべき雰囲気を纏った場所でした。恐らくは第二次世界大戦の大阪空襲の戦火もくぐり抜けて来た歴史を染み込ませている建物です。ここは店主が亡くなったら、息子が土地を売ってマンションを建てることになっているという話ですので、もったいないなという感想を抱きます。
そしてもったいないなと思うなら、代償を支払わなければならないという結論になるわけです。
変わっていくのは悪いことではありません。
善い悪いの二元論の次元の話ではありません。
大阪でも商業地区などは顕著ですが、関東大震災の頃に被害を受けて衰退した東京の商業地区に変わって、大阪の商業地区が目覚ましい発展を遂げ、その際にいわゆるモダンな建物が沢山建てられましたが、ここ数年で一気に無くなっていき、今風のただただスタイリッシュなだけの「癖の無い」建物に様変わりして街の景観が激変しました。
行政や小売店側、建築業者や代理店等、様々な立場のそれぞれの気持ちや目論見や目的も理解はできますが、それらの総合的な結果として失われていくものが余りにも大きすぎるような気がしてなりません。懐古主義と切り捨ててしまえばそれだけですし、実際に利便性や合理性を考え合わせれば新しくて機能的でスタイリッシュで万人受けするものの方が、喜ぶ絶対数が多いので「良し」というのはわかりますし、否定するつもりはありませんが、忘れては欲しくないな、と感じます。
先だって縁があり、大阪狭山市の茱萸木(くみのき)というところで窯を開いている陶芸家の家に行ってきたのですが、その家の前に陶器山通りという通りがあったので、ちらりと話の水を向けてみたところ、地域の歴史の話がどんどん出てきて楽しい思いをさせてもらいました。行基さんがこの界隈で陶器窯を拓いたのが、この界隈の始まりだとか。最盛期には100を越える窯があり、窯の燃料になる木を巡っての争いが激しくなったため、これまた困った行基さんは溜池を作り開墾し、田畑を作り村を形成したということです。この時に作られた溜池が現在の狭山池で日本最古の人口の溜池だそうです。近畿圏はどこへ行っても行基さんのお名前を聞く程に治水や掘削、開墾などに長けた人です。
ちなみに、「だんじり」などにも担ぎ出されていますが、行基さんは奈良時代の人で、だんじりの歴史は浅く1700年初頭からですので、全く何一つ関係はありません。江戸中期以降の祭りの多くは、ただの馬鹿騒ぎ祭りに過ぎません。観光資源と地域結束としてしか機能していませんので、黙殺しても良い程度のものです。
現代も、そういう意味では江戸時代と変わりありません。むしろ江戸の頃より悪いと言えるかもしれません。書物や日本画や思想などは平和だった江戸の頃に当時の極致にまで至っていますが、現代はむしろ衰退化しているように感じます。
あの古本屋にあった様々な美術書や古いデザイン書など買っておけばよかったなと今更ながらに後悔ですが、あるものと思っているものは、ないものと同じなのかもしれないということを、更地になった空間にまざまざと見せつけられた気がしました。
そしてその残酷さに身震いし、明日は我が身だとばかりに憔悴し、また重苦しい水の中でもがいている気分になるのです。一瞬一秒の貴重さを身にしみて痛感して、その瞬間を味わい尽くそうとしているともう次の瞬間がやってきています。それこそが時間の流れだとわかっていますので、最近は一歩引いて落ち着いて深呼吸をしてからゆっくりと次の動作に移って行くぞと言い聞かせている毎日です。
それにしても、陽が長くなりました。
今年の桜も堪能できました。
眠れぬ夜の人 / 2007年4月6日
夜になると頭がグルグルと回って眠れずに、そのうち白々と夜が明けてくることは結構あります。最近はグーグースヤスヤと眠れますが、そうやって眠れない夜が気まぐれに作品を作ったり、いたずらに人間関係を作ったりする話はたまに聞きます。なので、私は夜はなるべく人を避けますし、なるべくものを作ったりすることは避けます。作ったとしても、翌日に見直して完全に作りなおすこともあります。
夜と昼とでは人は違う生き物です。
夜中の午前2時過ぎに電話がなりました。友人からです。電話の声は遠く、泣き声でしきりに私の名前を連呼して「助けて助けて」と言っていました。夜中のそんな時間にそんな電話で私もびっくりして「どうしたの!今どこにいるの!落ち着いて落ち着いて!」と言ったのですが、電話は切れてそれっきりになりました。何か出来るわけでもないので、そのまま寝たのですが、翌日になってから「夕べはごめんなさい。酔っぱらって錯乱して爆発してしまいました」とお詫びの電話をしてきました。それ以来、この人からの夜の電話は取りませんし、酔っぱらっているであろう時間帯の連絡は避けています。
また、夜中に感情的なメールが飛んで来たりもしますが、そうした場合は無視して翌日の昼間に「こういうメール送ってきてたけど自分ではどう思う?」と見せます。残酷ですが、夜中というだけでだいたいは酔っぱらっているのに近い状態になっていますので、安易にメールで送るなということです。昔、夜中に書いた手紙は昼間に一度読み返してから送れ、というのが普通でしたがメールは書いてその勢いで送信できてしまい、危険です。いろんな意味で。
それはそれで楽しいんですけど、その場だけのことです。
そもそもストレスや失調症などのさまざな精神疾患の根源は不眠が主になっています。ストレスを感じすぎて不眠になって不眠からストレスを増長して、本格的にホルモンバランスが崩れて疾患になるのが典型です。男性の場合は人間関係がホルモンバランスを崩す要因の一つになりますが、女性の場合は人間関係だけでなく、月経も同様です。この前後は情緒不安定や躁状態、不眠あるいは異常な眠気を呈します。合わせて頭痛や腹痛、腰痛なども起こりますので大変です。これには個人差がかなりありますが、女性的な女性であればあるほど重い傾向が見えます。概ね28日周期でやってくる女性の女性のための手続きです。
さて、先の夜中の電話の友人は女性なのですが、試しに手続き前だったのでは?と聞いてみたら、事実そうでした。酔っぱらっていたとはいえ、こういう情緒不安定が顕著に出るのはそういえばいつも手続き前かもという結論にいたり、自分でカレンダーをつけて、この期間は特にイライラするから注意すること、と自身で心がけるようになったそうです。
昔は学校で教えていたはずですが、最近はそういうこともないのかしら?と感じたのですが、自分で自分の感情や肉体の変化に惑わされては、あとで後悔します。こういうときに、自分から一歩引いて自分を客観的に見ると「我を忘れている」ことに気付かされます。
と、頭でわかってはいても、怒り狂ってるときなどはそれこそ「我を忘れている」ということすら忘れて、周囲を傷付けまくってしまうので、あとになってから汗顔するのですが、あとの祭りです。
やれやれ。
と周囲の呟きが聴こえてきそうなので身が小さくなります。
進化すること / 2007年4月5日
生き物は交配して環境に適応していくことで進化を繰り返して繰り返して今に至っています。クロマニョン人を起源に持つホモ・サピエンスです。ネアンデルタール人は現在のところ絶滅したということになっています。そして、定説としてはアフリカ大陸からヨーロッパに広がりインドからインドネシアを通って更に南に行った人々と、そこから北上して沖縄から日本列島九州地方に上陸した人々や、アジアを経由して朝鮮半島から日本列島九州山陰側に上陸した人々、またインドから北部を周りロシアから千島列島を渡り日本列島東北部に入って来た人々が現在の日本人の始祖にあたるであろうと考えられています。日本より東には海しかありません。千島列島から日本に来た人々のほかにベーリング海峡からアメリカ大陸に渡った人々が恐らくはインディアンの大本になっていったのでしょう。
こうした人類の変遷には地球の環境も大きく関わっていました。海水位は今よりも低く、千島列島やベーリング海峡は凍結していて徒歩による移動ができたと考えられています。
この移動経路によって、人間の進化にもいくつかの相違をもたらしています。鼻が低いのは冷たい空気を守るためであり、まぶたが一重なのも同様に強烈な冷気から守るためではないかというわけです。実際のところはわかりませんが、そうして同じホモサピエンスでも複数の種類を生み出していき環境に適応していったのです。言い換えると、環境に適応できなかった人たちは淘汰され、残った人たちだけの交配により、環境に適応した子孫が誕生していくというわけです。
やがて人類は鉄の利用により、効率的な農耕を生み出し、一カ所に定住することを覚えます。そして組織ができあがり、街になり文化が生まれ、政が行われていきました。紀元前4000年前後が現在わかっている範囲では最古の文明があったようだということのようです。歴史で習った四大文明ですね。現代では四大文明どころの数ではないことがわかっていますので、さすがにそんな教え方はしていないと思いますが。
さて、最も古いのはメソポタミア文明です。チグリス・ユーフラテス川の間に生まれた文明で、シュメール人が主体です。シュメール人がなんなのかよくわかっていないのですが、開拓、開墾、高度な農業、金属を用い、楔形文字も使っていました。また、太陰暦までも使っていて七曜を作ったのもシュメール人と言われています。既に結構な都市を形成していて、他の都市との交易記録なども出てきているということです。
この頃にはすでに環境に適応して、自分たちに合わせた環境づくり、自分たちに合わせた道具作りというのを行っていると考えられますので、そういった点では現代と変わりありません。
そもそも進化というのは、環境への適応能力を得る事であると思います。自身にあった環境を作り出せるようになると、物理的肉体的な進化の必然性がなくなり、そこで止まります。もちろん、時代時代で食べるものも変わり、身長や肉体的特徴の変化などはありますが、それは進化や退化ではなく、一時的なブレと言えるレベルのもので、種としての進化というようなものではありません。
こうして肉体的物理的な進化は停滞期、あるいは安定期に入ったと言えそうです。
次に進化できるのはどこでしょう。
環境に順応していくのが進化だとすると、私は精神的な側面ではないかなと想像します。古代と現代で大きく変化したのは、一人の人間が一生の間に得られる情報量において顕著に見られます。受動的であれ能動的であれ、得られる情報量は莫大です。そうして得た情報を取捨選択して分析する能力であったり、他の感覚を研ぎ澄ませていき様々なことを知るのが、人間の次の進化の道かもしれないなと妄想していくのです。
幸いにも私たちは学ぼうとさえ思えば、過去から様々なことを学べます。その真偽はともかく、学び得ることができる時代です。まずはそれに気付いていくことからが始まりかなという気がします。
足下を見据えることも大切ですが、未来を見据えることも大切です。己を知ることも大事ですが、分不相応の夢を見て邁進することも大事です。
んで、自分を省みると、あぁ小さくまとまって無難だなと思ってまだまだだなぁと焦りを覚えます。
絶対やってやる、という気持ちだけはありますので、その気持ちに焦がされて焦っているのです。
入院 / 2007年4月4日
とても親しくしている友人が入院しました。
急だったので焦りました。詳細は不明ですが天がくれた強制休暇だと思って、検査も兼ねて少し入院ということのようです。ある種、いい機会です。仕事や人に追いかけられまくる昨今ですので、病院のように携帯電話使用禁止の場所など、うってつけです。これを機に、ゆっくり考えてもらいたいなと思います。
仕事ばかりしていると、仕事が自分のアイデンティティになり、その仕事が無くなった時、自分は何をしたかったんだろうということになります。遮二無二自分で仕事をしているつもりでも、それは実は客観的には「便利に使われている」だけのことで、牛と変わりません。でも必要とされるがために、ついつい働きすぎてしまうのは良くある話で、己を振り返ると、これまでが実際にそうでした。仕事して金稼いで使って稼いでの繰り返しです。バカらしくなりました。
そして、私は落伍者になったのですが、落伍者に成らないために人生を生きているわけではありませんし、自分の人生に対して誠実で充足していれば、世間に落伍者の烙印を捺されようが、つま弾きにされようが、後ろ指さされようが、それはひがみの言葉にしか聞こえてきません。
日本人の誇りがどうのこうの言う前に、誇りを持てるだけの文化的教養が日本人にはありません。自国の文化の成り立ちを知らずに、誇りを持てと言い、高齢化社会を支えるために働けと言い、それを美しい国などというバカげた発言をするバカげた首相の居るバカげた国のバカげた国民を作って来たのは、先人達の政治です。第九条を改正することは、日本人の誇りに繋がりませんし、第二次世界大戦開戦直前まで「アメリカに力では絶対に勝てないから文化的側面で成長すべきだ」という論調があったのですが、軍部の強攻策でそれすら吹き飛ばし、最終的に国家規模で日本的文化をも吹き飛ばしたのです。
日本は実際に美しい国です。
しかし日本の政治は醜い国です。
理想論を掲げるのは市井の役割で、その理想論を現実的な視点にして実行していくのが政治屋の役目です。その政治屋が理想論ばかりをがなり立てる選挙戦には、腹立たしくなりますし、首相までも理想論を言うような国に先があるはずもありません。
萌えは日本の文化だとのたまう政治屋までいる始末ですから、あきれかえるばかりです。萌えにせよ何にせよ、現在の日本を培って来た過去のものが文化です。現在のものはそれらの文化に根ざし成り立ち成長過程にあるものに過ぎません。その一部分を取り出して評価をするのは、本質からずれます。そうしてお茶を濁して視線をずらすやりかたも、日本的文化ではありますが、さてどうしてそのようになったのかは、歴史を教えてくれます。
自国の文化を知らずして日本人面するのは、無知蒙昧です。
まずいことに、テレビ等で扱う歴史の番組には演出が入りです。演出というのは、少し間違えると捏造になります。みのもんななどは「フジヤは廃業しなさい」などと言ったようですが後に「あれは励ましの言葉です」と釈明していたり、重々しい表情して重々しいニュースを喋っていたかと思えば、明るいニュースに明るい表情をして喋りだす古館なんとかさんとか、演出が入った報道が如何に主観的になり結果として捏造に成り得る危ういものだという事を知らしめています。
調べものもニュースも同様ですが、ひとつの媒体やひとつの情報源に頼るのではなく、複数の媒体と複数の情報源を得て総合的に判断するものです。歴史も同様で、ひとつの情報源ではひとつの側面しか見えてきません。あらゆる側面から見る事で、現在に至るまでの文化的過程を立体的に捉えることで、それらの文化の上に成り立った日本を認識することができるのではないかなと考えます。そして、現在が歴史になった頃、後世の人々がこの時代を以下に区分し評価をするのか想像を膨らませることができます。
それはさておき、何にせよ入院というだけで気は滅入るものだと思いますが、それはそれでいいのではないかなと人ごと半分、羨み半分で思っています。
一緒ということ / 2007年4月3日
先日、8年間一緒にいる大切な人と久しぶりに二人きりで、ゆっくり食事に行きました。
お互い違う道を歩いていますが、ここに至るまでの筆舌に尽くしがたい様々なことの結果の今があるんだなと、穏やかな時間と空間を感じながら、思い返しました。夢見るように(by井上陽水
時間が堆積したそのぶん、関係性や考え方は変化しましたし、環境も大きく変わっています。でも根本的にお互いが持っていたものはそのままで、お互いにそれを尊重できるような関係になったなと改めて感じ、お互いのその違いを己のアイデンティティの一部とまで言わしめるに至っているのです。だからといって、そのアイデンティティを失ったとしても己は変わること無く、根本はやはり大木の如く静かに屹立していると言い切れる関係です。
考えてみれば、同じ人間と長時間を過ごすということはありません。学生の時分は同じ時間を過ごしていると思いがちですが、この場合はそれぞれが学生であり、皆が学業をする共通目的でその場にいるだけのことで、それは長時間を過ごすというのとは本質が違います。小学校中学校が一緒だったから9年間一緒だったとしても、その目的は学業であり人間の関係性ではありません。会社においても同様です。長年同僚だとしても、会社利益追求という共通目的がそこにあります。そうした社会や環境に用意された共通目的を持った関係ではなく、単純に他人同士、人間同士として関係性を維持するということは、なかなかありません。少なくとも私には、片手で足りる程しかいませんし、長期に及ぶとなると一人しかいません。
こういう関係は、一朝一夕では成り得ませんし、そこに利害的な要求が生まれてしまえば簡単に破綻する脆いものです。明確な共通目的が無ければ、特に脆いと言えますが、逆に強固であるとも言えます。矛盾していますが、共通目的がなく一緒にいるということはお互いの自由意志がそこにあり、お互いの自主性で一緒にいるわけです。
先日、俎上に乗せたマグロ男ではありませんが、マグロであれなんであれ、そこにその人の自主性、主体性、自己主張が無ければ、それこそ用意された共通目的に只ひたすら突き進んでいくだけになります。そうした結果は、退職離婚や熟年離婚、あるいは大学卒業後就職に失敗して引きこもってしまったり、というのに見て取れるのではないかなと感じます。今まであったそれぞれの共通目的が無くなって、どうしていいのかわからなくなっているのかもしれません。そうした人たちに、何かを言うと、押し付けられたと思われて恨まれることもありますので、注意が必要なのであまり関わらないことにしていますが、結局そうした反面教師達のおかげで同じ轍を踏むこと無く、こうして自分の足で自分の道を歩けているんだなと思えます。そう思うと、今ある環境への感謝が生まれ、支えてくれている人たちには頭が下がる思いです。
自分の言葉で、自分の気持ちや考えを、口下手でも時間がかかっても言えるようになる、あるいは言いたいという意思を持つのは大事です。そうすることが、自分の人生に対して誠実だと思いますし、産み育ててくれた両親に対する誠意だと思いますし、そうやって他人に接することが他者への本当に誠意のある思い遣りだと感じます。
マニュアル通りに「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」も合理的で結構ですし、ドラマや映画などで「愛してる」って言ってるから愛してるって言ってここで口づけして、なんていうのも結構ですが、そんなのは三文芝居ですしどこか空々しさを感じます。謝るのも、相手が怒ってるから謝るんじゃなくて、何がどう悪くて相手を怒らせてしまったのかを相手の立場に立って考えて気付いて謝るのが、自分の口で謝るということです。
美味しいものを口にして
「おいしい!!」
って言います。
凄い綺麗な絶景に出会って絶句した後
「きれい。。」
って言います。
なんでも知っていそうな巨木に出会ったら
触れながら「凄いなぁ」
って言います。
意識せずに口をついて出てくる言葉ですが、とても自然で素直な感情だと思います。
愛している人に愛してるっていうのも、同じことです。
そこで「〜からどうのこうの」と言ったり、逆に言葉の腹を探られたりするのは損得勘定をしてしまってるように感じてしまいます。愛してる言われて、それに応えたい気持ちもわかりますが、ただ笑って「ありがとう」で満足し合える関係って気持ちがいいです。
一朝一夕にできあがる関係ではないと思いますが、お互いの気持ちの具合でそうした関係は速やかに作ることもできます。8年経ってある程度の形にまでなりましたが、それはお互いに必要があって筆舌に尽くしがたい事がありながらも乗り越えてきたからこそある関係ではなく、ひとつの事を理解し合えたからだと思いますし、乗り越えて来たからこそ理解できた部分もあろうかと思います。そして、物理的な距離や離れている時間などとは全く関係のないところで、いつも一緒に居る感じが己のアイデンティティの一部であると言わしめるのではないかなと気付くのです。こういう関係を持てる人というのは多くあれば、それは無上の幸せと言えるかもしれません。
不安定で矛盾だらけで曖昧な「感情」という機能を持っている人間ならではの、人間らしい関係ってこういうことなのかもしれないなぁと考え至ったのです。
ヲシの風 / 2007年4月2日
写真詩集ができあがりました。
といっても、一般流通に乗りませんので通常の書店等では入手不可能です。日販や東販は絡んでいません。今の所、オフィシャルサイトでの販売のみです。でもJANコードはついているという不思議。
B6判/上製本/120p
写真59点/詩38編
JAN-4582287334017
B6版の上製本、いわゆるハードカバーってやつです。作ってみたら我ながら「おおいい感じじゃん」というものですので、気に入ってます。ちなみにデザイン類一切も自分でやってますのでマイペースで気楽でいいものです。
それにしても、この製本方法というのはよく考えられているもので、先人の細かい智慧にひたすら驚くばかりです。
完全手作りの上製本(ハードカバー)ですので、細かいアラはあります。それにしても、この製本方法というのはよく考えられているなぁと感心しながら作りました。
これが売れたお金は活動資金になります。
ご希望くださる方は、メールよりお問い合わせくださいませ。
写真は全てフィルムでこれといった加工はしていません。デジカメの画質に見慣れた方には新鮮に映ると思います。液晶で見る写真と、紙で見る写真は全く別のものですので、快感すら覚えます。詩は、そもそも音楽用の歌詞を書いていたのですが、それとは別に詩もどんどんできていくので、別個にまとめ直したものです。
読んでいただいた方に理解を求めるものではなく、それぞれ各々で理解して頂いて考えていただく切っ掛けになったり、何かを感じ取っていただければと思います。もちろん、作っている側としてはもちろん意図もテーマもありますが、それは想像して楽しんでください。
詳細はこちらです。
http://kiroujin.com/disco.html
ご購入は、オフィシャルサイトのメールからお問い合わせください。
といいつつも、自分のために作った思いが強いので満足感に浸り、すでに次の作品のまとめに入っています。こちらは音楽です。
やっぱり自分のためにものを作るのは何であっても楽しいなぁとしみじみと感じて、そういう環境が周りにあることに感謝するばかりです。陰に日向に惜しまない援助をありがとうございます。