いやほんと / 2008年2月29日
二月二十九日。前の二月二十九日は2004年か。それにしても見つめる鍋が煮えないのは本当だな。なんだか2000年代になってから八年とか、嘘みたい。
次の二月二十九日にはどうなっていることやら。
焼きソバと反論 / 2008年2月28日
このところここの更新が滞っちゃってて、一応毎日忘れているわけじゃなくて書きたいなと真っ白な新規ウィンドウを開いてみるんだけど、それと一緒に頭も真っ白になっちゃうのです。
なので
とりあえず書き進めてみるために、誰ぞの文体なぞを真似てみるんだけど、簡単にそんなこともできるわけなくて、でもそれが結局、畢竟、わたしっぽくなるんじゃないかなと手前勝手に考えてますが、読み辛いのは読み辛いな。
あそうそう空腹のほうが異常な集中力をわたしの脳が発揮するようなので、なにかと、ご飯を食べないようにしたところ案の定というか当たり前というか、イライラしていけないことを改めて知りました。でもやっぱね仕事の進み具合は異常なのでしばらく続けるつもり。あ、外出の必要があるときはフラフラしてダメだからそこは注意しないとね。机にかじりついているときじゃないと、ただの苦行、断食。あほくさ。で、夜中になってからあまりの空腹に耐え兼ねてコンビニ行ってきた。なぜか焼きソバ。熱湯いれて三分待つ焼きソバ。だってね、寝ようと目をつぶったらまぶたの裏で焼きソバができあがってたもんで、時は午前二時、こういう時間のジャンクなフードって背徳感と罪悪感にまみれていて、違う方面で美味しそう的なのあるじゃないですか。その衝動的な欲求につき動かされてコンビニへ行っちゃった。午前二時。もう一度いうよ、午前二時。寒いし。角の交番ではおまわりさん暇そうだし。ちゃんと着替えて出ましたよ、寒いし。コンビニまで徒歩二分ぐらい。
さくっと買うものほんと焼きソバだけをバカみたいに買って帰ってきて三分で作って、いやお湯沸かすこと考えたら五分で作って三分で背徳感と罪悪感にまみれた焼きソバを良心の呵責に苛まれながら食べたその味やなんとも表現しようのない焼きソバの味でそれが満足感をくれました。
そもそもなんで集中力云々のために、空腹でいるかというのは、最近読んだ本に「朝飯前というのは簡単なことという意味ではなくて、朝飯前の頭は効率よく働く」とか書いてあったせいで、試してみようと早速やってみているわけです。ここのポイントは空腹でいることじゃなくて、寝て起きて朝食を食べるまでのわずかな時間の頭のことなんだけど、なにを思ったか空腹感を無理やりメインにしたのは、ついでに増えちゃった体重も無理やり落してまえという姑息な打算なのです。寝て起きて朝食を食べるのを遅らせてブランチと洒落こめばいいんだけど、だんだん面倒になるのが本音ね。べつにブランチがしゃれてるとは思わんけど。
そして焼きソバが入った胃袋を抱えたままベッドに寝転ぶこの快感。このまま寝たら明日の胃袋はもたれにもたれて不快感。でもいいのです。明日のわたしのことは明日のわたしに任す。
さて、最近の更新が滞ってる件。やる気がないだけ。平日は遅くまで仕事まみれで抜け殻だしで、じゃぁそんな平日のつまらないことをダラダラ書いてみよかと書いてみたらやっぱりつまらないもんはつまらないなと自分で結論づけるこの後ろ向きな有様。まま、そう言わんとやるだけやろやと思い直してやるものの、どうせどうせとこれまでの我が身を振り返り、続かないなら最初からするななどという言葉を思い出し、改めてなんて完全否定なことを簡単に言うんだと呆れながらもそりゃ正論というより暴論だと今更ながら反論するのです。
夢と希望と現実と / 2008年2月21日
夢や希望を持つためには、想像力が必要です。想像力には根本的な枠組みがありませんので、その幅に際限はありませんので、結果的に画一的な結論にはならないはずです。おのおの個性的な夢や希望を持つものだと思います。それが徐々に現実との擦り合わせを知り、着地点を模索し始めて矮小で画一的な夢や希望になっていきます。
端的に夢や希望を持てない場合は想像力の欠落を体現しています。さらには想像の飛躍を制限させる環境がそこにあると見ることもできます。
たとえ、飛躍できるとピーターパンが言い張っても、ウエンディが現実を突き付けたら、ティンカーベルは出るタイミングを逃してしまいお話になりません。
具体性に欠ける夢や希望であっても物事を知るにつれて補われていきます。その過程で先と同様に夢や希望そのものを妥協して引き下げて、現実に近付けて具体性を持たせてしまう愚挙に出る場合もあります。
実のところ、夢も希望も叶ってしまえば現実の一つで足ることを知ります。足りて知っているのと、足りずにただ知っているだけでは雲泥の差があります。現実となった夢と希望は過去になり糧となり、次の夢と希望の想像の土台になります。これが未来にあたります。
想像力が枯渇して閉塞感が蔓延する現実というのは、即ち過去の人々の夢だったものです。テレビ、洗濯機、冷蔵庫といった家電に始まり、クルマ、家、ビデオ、携帯電話、パソコン、ゲーム機。これらは豊かな暮らしだと信じられて人々が渇望し、皆が平等に手に入れたものでした。皆が平等に手に入れ、それが当たり前になった昨今では、その先の未来を夢見る想像力が欠落しているように見えます。
物や食べ物があって豊かでも、子どもが夢を抱けない社会は豊かではありません。
忙しい / 2008年2月13日
というより、忙しない。仕事で忙しないわけですが、急ぎの仕事ばかりで忙しなく感じています。一般的には忙しいと儲かっていると言われますが、急ぎの仕事で忙しない場合は決してそうした一般論は当てはまりません。とはいえ、去年よりマシです。人間的な暮らしができています。去年を思い出すだけで、うんざりします。二日間起きて作業してチェックバック待ちの間だけ眠って、再び二日間起きて仕事して合間を縫ってライブしてというのが、ちょうど去年の二月。どうしてそういうスケジュールになってしまったのかというのは、制作物のプログラムのバグが原因で、それの回避手段に難儀したため、予定通り進まずにこうしたことになったので、理不尽もいいところです。おいおいバグだと認識しているなら、それを修復したパッチなり簡単な回避方法なりあるだろうとドキュメントを漁って探したところで「仕様です」の一点張りではにっちもさっちもいきません。やむを得ず最初から作り直しをせざるを得なくなったという悪夢。ああ、身の毛もよだつあの瞬間。目の前が真っ暗になって愚痴を言おうにも、その理由を理解できる人もおらず、ため息だけが出るばかり。
さて、今の忙しさはそもそもスケジュールがおかしい忙しさです。いきなり今から、とか明日、とか打ち合わせなどと言われたり、締め切りが一週間後とかそういう忙しさです。というのも年度末なので、三月末までに終わらせて請求を今年度内に収めてしまいたいというのがその原因です。役所などはこの時期になって「あ、予算が余ってもうた」と気がつくのがよくあるので、駆け込みが増えます。それが濡れ手に粟だったらいいのですが、こちとら成果物を作る必要がありますので物理的時間がどうしても必要になります。結果、その時間を確保するために他を削りなんとかかんとか年度末に間に合わせるという、なんというか力技が必要になります。これが忙しさの主因。
そういう仕事に声がかかるだけでもありがたいことです。
ビオキサー・ジケッパ / 2008年2月4日

冬の寒い日の午後、部屋を出て買い物へ行った。幼稚園沿いの道路は、子供たちの騒ぎ声で冬を忘れていた。地下鉄へ降りてホームへ向かった。生温く埃臭い空気が寒さを和らげ、こわばった筋肉を弛緩させてくれた。乗降客の熱気が、ぬるま湯のように纏わりついてきた。反射的にマフラーを鼻の上まであげた。そうすると、たった一駅先の目的地に着いた。
駅に直結している巨大なモールのエレベーターに乗って、書店で降りた。ワンフロアがまるまる本屋だ。お目当ての本があるわけではないが、こうした本屋には用がなくとも、立ち寄る。まず、哲学・心理学の棚を巡った。一番奥まった棚で心持ち薄暗く見えた。他の棚と同じように蛍光灯が煌々と点いているにも関わらず、薄暗く見えた。精神心理学や臨床心理学、行動心理学、現代思想、哲学などといった字を追いかけていると、背中も少し丸くなっていくぶんうつむき加減になった。
そうして心に陰を背負ったところで、芸術、写真、音楽の棚へ移動した。すると、普段ならば無意味に重苦しく見える古典芸術やバロック音楽など、荘厳なモチーフに明るさを見出すことができた。ああ、これが芸術と呼ばれるものの本流なのかと、生きることの力強さ、情熱、性といった生々しさ青臭さの中に人間味を感じ取ることができた。そうした剥き出しの青臭さをモノクロームの写真が落ち着きを与え、ここで完結して本屋へ来たと実感させてくれた。
このようにしてひと心地ついてから、文芸の棚へ移動した。そこに広がる累々たる物語の表紙を飾る装丁に目眩を起こし、明確な判断基準を失った目と頭で何かの本を手に取った。
軽い目眩を心地良く感じる頃には、足は自動的に出口へ向かって地下の食料品売り場へと向かっていた。
地下には食べ物が溢れていた。レトルト、インスタント、野菜、肉肉肉、乳製品、お菓子、アルコール、調味料、乾物、果物、魚、パン、加工食品、とあらゆる物と人と活気が溢れていた。何を買おうかと考えながらカートを押して売り場をウロウロしていると、あれこれと目に飛び込んできた。いろいろな音が飛び交って安いとかお買い得とかなんとか言っているが、全て一塊となって居るので聞こえなかった。目に飛び込んできた物だけが真実だった。だから、真実を一つずつカートに入れて、買った。集めて回った真実は五千円にも満たなかった。
「売っている真実はやはり安いんですね。びっくりしました」
と、レジの女の子に話しかけた。
「すみません、研修中なのでわかりません。でもお客様がお買い求め下さった物は真実ではなくて、牛乳と卵とバターと焼きそばと牛肉二百グラムとニンニク一個とお茶漬けとタマネギ二袋と納豆とキャベツ一玉とチーズとカンヅメのコーンスープ二缶だということはわかります」
「外は寒いから、こんな重い物を持って帰るのが億劫なんです。安いとは言え、持って買えるのが億劫なんです。真実も現実も重過ぎるんです」
「すみません、研修中なので。ただ、お客様はお客様自身の真実を求めるために現実にきちんと向き合って先に進まなければいけないということはわかります」
「そうですか。大きい袋をありがとう」
食べ物が溢れた地下から自動ドアを一つ通り抜けたら、地下鉄だったので大きい袋をぶら下げたまま乗った。
今日は、きちんと乗ることができた。