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頑張ろう / 2008年7月29日

いや、頑張るのはやめよう。
これだけ頑張ったんだから、と自分を慰めてしまう。
これだけ頑張ったのに、と報酬や結果を求めてしまう。

努力も然り。

だから頑張らない。
だから努力もしない。

ゆっくりでも、自分の感じるままを素直に受け止めて、先へ進むだけ。
ただそれだけ。

やるべきことなど、そんなに多くはない。
やらないと自分が困るからやるだけ。責任だとかプライドなどは、見方の差異。言葉の誤差の範疇にすぎない。曖昧な言葉。主観的な意味。そんなものに振り回されているんじゃない。やらねば自分が困るからやるだけ。

だから身過ぎ世過ぎの仕事に呑まれることなく進んでいくんだ。軋轢が生じたら、距離を取ればいい。

多様な価値観の中では、平均的な価値観が正義になり、感性は均一化されていく。多数決で決まる美醜は、可も不可もなく、判断力を剥奪し、芸術にすら説明を求め、想像力を使うことを知らない。

数多の軋轢や説教を聞き流していると、プライドは無いのか悔しくないのか言い返さないのかと神経を疑われる。自分には自分の世界がある。他人に理解は求めない。想像を求める。反論して説明することは、想像力の介在を排除してしまうと考える。

結局、説明にあふれた世の中で、説明がないものに対する不安感が薄気味悪さを醸し出させる想像の切っ掛けになっているのだろう。受け取りたいように受け取り、想像にまかせてイメージを膨らませて楽しんでみるのが、芸術なのではないのか。それをできるのが人間なのではないのか。芸術を大袈裟なものにしたのは、想像力が無い世間への体裁なのではないのか。

民主主義などという体のいい多数決は、皆と同じと言う安心感を持ちながらも、選良意識を満足させる姑息な社会的手段に思えてならない。

合議制と民主主義は同じものではない。市井の者として、与えられた時間と想像力を存分に使い、自分の世界を追及するのが人の人生。どこからきてどこへ行くのか。自己探求が芸術の道。恐らくは、世の中で一番、泥臭い道。汚い道。暗い道。

それが私の道。
掻き分けても掻き分けても光明などは見えない。見えないからさらにもがく。命の続く限りもがく。光が見えようが見えまいが、泥の中で己の核を見つけるまで、死に至るまで、惨めに不器用にもがき続ける。傷つき続ける。

そして、それが私の幸せ。

傷や泥や汚れは、ゆらぎとともに輝き始め、暗い道を照らし眩い光明に至る。
クレイジー / 2008年7月25日
「あのさ、いい具合に狂ってるよな、おまえら」
天使が電柱に寄りかかりながら言った。
「何が狂ってるって?」
「おまえらがだよ」
「狂ってなんていないぞ」
目玉の無い天使はぎょろりとこちらを睨みつけた。
「狂ってるんだから、狂ってることに気付くわけないだろ、ひゃはは。おれが異常に見えるだろ。それが証拠さ」
「どこがどう狂ってるっていうんだ」
「わからないだろ。おまえら、全部だからな。世界が狂ってるのさ。正常でいられるわけが無い、この世の中」
「それでも生きているんだ。狂ってるとは酷いな」
「おれは指摘してやっただけだ。腹を立てるのは筋違いだぜ。これは親切心なわけだ。言われてもわからないほどの末期なのさ。末期になったら絶えられないからモルヒネ漬けにするだろ、ちょうどそんな感じだな」
「そこまで酷いと思うなら、あんた天使だろ、なんかしたらいいだろ」
「おれはな、こっち側へ来たやつを処分するだけだ。そっちのことは知らん。だいたい手遅れだろ。この先どこまで行くのか楽しみだぜ、おれはな」
「天使は助けてくれるんじゃないのか」
「それはおまえらが勝手に期待しただけだろ。そんなことは知ったことじゃない」

そういって天使は電柱に溶け込んで消えた。
取り残された寂寥感と、墜ちていく快楽とがないまぜになって、笑い出したくなった。どうせ狂った世の中で、狂気の淵をそぞろ歩いて次々に転落していく様を眺めている天使は楽しかろう。それを思うと笑いが止まらない。狂った世の中、まともでいるとはそういうことだ。
Eli, eli, lema sabachtani? / 2008年7月17日
何も要らない。
だから近づかないで欲しい。時間と共に裏切りがやってくる。
裏切りを感じるのは、期待していた証。

裏切られたくなければ期待しなければいい。
そんな消極的な?

いい加減にしてくれ。いい加減にしてくれ。いい加減にしてくれ。

迫る槍の先にあるのは、次へ向かうための糸。
糸の先にあるはずの手は、そう期待しただけの妄想で
それで?
それで勝手に裏切りを感じて呪う。

あのさ、人の間はどうしても他者との関係性で自分を認識できるわけ。だって一人だったら一人ということもわからないでしょ。だからさ、その後に付随するいろんな感情なんて、おまけに過ぎないのよ。おまけなら、人より余計に多い方が嬉しいでしょ。みんなね、期待させることをわざと言ってるわけじゃないのよ。善かれと思って言ってるだけ。ただとても主観的なだけ。それに期待するのも主観的なこと。期待するんじゃなくて希望をもったら?その希望を叶えることを目標にして、言った方も言われた方も適度に努力をしたらいいんじゃない?キミタチはなににしてもいろいろこだわり過ぎね。うん、そう、こだわり過ぎ。肩書きとか世間体とか収入とか貯蓄とか格好とか、外側ばかりを。神なんていう存在を用意して勝手に期待したのは誰?人間に都合のいい存在に仕立て上げて祭り上げて期待したのは誰。都合がいいときがあれば悪いときもあるものでしょ。正負の法則なんてものじゃないわよ、これは。循環システム。それも上向きのベクトルを持つ循環システム。前のいいときを知り、次のいい時を知るときは相対基準があるから、前のそれよりも上になる。悪いときも同じように相対基準があるから前より悪く感じる。でもいいときを慰みにするから前の悪い時より立ち直りが早い。そして全体の基準の質は上がっていくから、つまり上向きに螺旋を描く循環システムっていうイメージが正解。正負なんていったら、代償行為よ。法則なんてつけたら、普遍的になってしまう。客観的な時間はまだまだあるんだから、もっと柔軟に幅広く囚われずに考えて早く感性の怪物になってみせてよ。

そうはいっても動けないときは動けない。
動けないのは自分だけだと知っていても動けない。
まるで全身を擦りむいたかのように動くとあちこちが痛い。
だから、そっと、動く。
それでも痛い。痛いと少しの動きでも疲れる。
疲れるからまた動けなくなる。
息切れして勝手に膝が崩れる。
崩れ落ちていく。崩れた滓は時おり吹き抜ける風に運ばれ蒼穹の極みへ昇る。

そしてまた戻ってくるんだ。
自分で。

ほら、身体を吹き抜ける風が気持ちいい。
ほら、全部もうどうでもいい。

こだわりを捨て
力を抜き
風に乗れば
いい。
管理したがる人 / 2008年7月16日
端的に信頼していない証拠です。建前や言いかたはともかく、管理することで相手に心理的束縛を与えて居ます。管理されるのは楽という人もいますが、私は管理されることから逃れてきている方なので、管理されだしたらとことん逃げます。ただただ嫌なのです。反骨精神、あるいは天の邪鬼。管理できるものならしてみろよ、とばかりにあらゆる手を使って出し抜くだけです。自分の損得は二の次なので、ただの馬鹿ですし損の方が多くなりますが、管理下にある自分は自分ではありません。大人になれなんていう諫言は世間に迎合しろと同意ですので、鼻白むばかりです。自分あるいは多く一般的価値観で管理する以上は、私も自分の価値観と権利を主張します。

そもそも、他人が自分の思惑通りに動くなどとは思い上がりにすぎませんし、例えそれが相手のための諫言や忠告であっても、自分の道を変えてまで準ずることはありません。なぜなら自分には自分の世界があります。それは自我です。自我を押し殺して準じていけばやがて破綻していき、多重人格の道を辿ることになります。

己が正義のことを言っていても、その正義は主観的なものにすぎません。その時点で狭窄的な正義で、二元論で考えれば悪を生みます。

誰にも責められたくなければ、正論で諫めればいいのですが、そんな正論に個性はなく、極めて一般論に落ち着くのは必然です。一般論はすなわち常識です。ということは、誰でも知って居て当たり前で面白みもない平坦な人生で、それは平凡で幸せなのかも知れませんが私にはまったく魅力を感じさせてくれません。

諫言は参考程度に聞きますが、おおむね想像から逸脱するような思考ではありませんので、聞くだけであって刺激にも糧にもなりません。

人に責められたり、怒られて育たざるをえない環境に居た人はわりとこうした固定観念に囚われていて、その自分が信じて居る観念に沿って生きて居れば他人に責められても、正論で反論することにより自我を保つことができるようです。

イリーガルに育ってきた私としては、受け入れがたいものがあります。

他人と言うものは無責任が基本です。それなのにいちいち一つ一つを聞いていたら息は詰まるし、自分自身の人生を見失います。

責任という言葉は、逃げ口上の一つです。いわゆる大義名分です。大人たるもの責任を全うするのが当たり前と肩肘張ってますが、じつはそれとて環境がそのように間接的に要求しているだけであって、そういった要求に対してばか正直に応えていると自分がなんなのかを見失うことになります。

打算だらけの人生はくそくらえです。私には私の道があります。それに付いてきたければ、仲間は多い方が楽しいですので一緒に事をなしとげましょう。付いてこれなければ応援してください。それが無理なら距離を置いてください。

孤高などというものではなく、自分と自分の世界観が大好きなのです。

これがモチベーションであり、自分の糧であり自分自信なのです。

興味があるのなら興味を示してください。
理解したいのならば理解してみてください。

世間との軋轢が怖いから、ぶつぶつ言いながらも今の環境に身を置いているだけということを知ってください。自分が居なくなっても本当に困る人など実はいないということを知ってください。実は管理をしたがる人というのは、管理をすることで相手にとって自分が必要な人間なんだということを意識的にせよ無意識的にせよ、刷り込ませようとしているのです。言葉を選ばずに言えば、自分の寂しさを紛らす道具にしているということです。
暑い / 2008年7月15日
世の中、暑く感じるのはクーラーが効いてる場所が増えたからじゃないかな、というのを最近強く感じるようになりました。都会ではクーラーの排熱や、アスファルトからの反射熱などで他の要素も多く、結果的にヒートアイランドという言葉を生み出すほどの気象現象を引き起こしていますが、それだけではなくて「暑い」と感じる基準の体感温度が下がっているように思います。

クーラーにあたることなく、日陰で、風が通る場所であれば、普通に過ごせます。身体を動かしたら汗をかくのはあたりまえで、その汗をかくことで風が通る時に涼しく感じられます。地面が土であれば、なお良いです。

地球規模でみたら、温暖化は進んでいますが、その規模で考えるのであれば温暖化は順当な温暖化と言えるはずです。もともと地球の温度が一定ではないことは知られています。その過程でここ数千年は温暖傾向になっているだけで、確か二千年程前は弱氷河期だったはずです。その頃は、世界規模で温度が低めだったようですが、どういうわけか日本界隈は温暖だったようです。想像するに、海流やジェット気流の関係だとは思いますが、地球規模で考えてたかだか二千年でゴロゴロと気象は変わっているようです。

その辺のことを踏まえると、別段に人間ごときが石油資源を枯渇させるほどに使用したからとか、温暖化ガスを大量に排出したからとかフロンをばらまいたから、温暖化が始まったんだという視点に違和感を感じます。地球のためじゃなくて、商品を売るための方便にしか聞こえなくなります。消費電力が半分だとか、二酸化炭素排出量がどうのとか、一気にバカバカしくなります。実際にその機械の消費電力が半分になったところで、発電側では原子力がベース電力を確保し、それ以上の発電は火力発電を行っていますので、まるで無意味で、助かるのは電気代くらいです。それだって消費電力が半分になったという安心感からいつもより多く使ってしまうことは、ありそうなものです。ペットボトルのリサイクルが開始されてから、ペットボトルの出荷量が爆増したのと同様です。リサイクルという大義名分を持って、一気に増えたのです。実際にリサイクルされている数などは出荷量からみたら知れていますし、リサイクルという行程が入ることで逆に消費エネルギーの面からみると、恐らくはしてもしなくても一緒、という範囲の話になってしまいそうです。ていうか、社会全体で考とどうしても狭窄的な方向へ行ってしまうのは、群集心理とも言えるのかもしれません。バブル経済しかり国民年金制度しかり、第二次世界大戦しかり。

閑話休題。

クーラーができてからは、どこもかしこもクーラーだらけになって、そうなってみてからようやくその排熱の深刻さがわかったものです。クルマも同様ですし、クルマのための道路も同様です。かくしてヒートアイランドなどという局地的気象変化をもたらすほどになったのは、環七雲や光化学スモッグなどの環境汚染の学習がなされていません。

アスファルトやコンクリートを纏った都会では普通に過ごすと熱中症へ至ります。冷えた屋内と熱された屋外を行き来していたら、自律神経がやられます。だからすぐに夏バテしますし、ちょっと気温が上がったら暑く感じてクーラーの設定温度を下げたりするわけです。

とかなんとか言っても暑いもんは暑いです。
そりゃ夏ですから仕方ありません。
汗をかいたら気持ち悪いですが、汗をきちんとかけないと詰まった汗腺から出る汗はドロリとした汚い汗になります。汗をかかない方が不健康で不潔になりやすいのです。
ばたばたと / 2008年7月4日
間接的にではありますが、なにかとごたついて、ちょっと疲れました。基本的なことができない、あるいは知らないと厚顔無恥になっていくのはどうやら間違いなさそうです。そしてそこに見え隠れする劣等感。その劣等感を、相手に投影して攻撃する防御機制。あちこちが破綻している論理は、議論にならず小学生の言い合いのようですので仕事に於いては聞くだけ時間の無駄です。そんなこんなで六月終えて七月に入りました。今月を乗り切ったら八月の頭に少しお休みをいただくことになりました。この期間は死守しなければ。。とか言っていたら他の仕事が動き出しそうな気配で、戦々恐々です。

ところで、なんだかんだとやらなければならないことと、やりたいこととのバランスを取りながらなんとか進んでいると、ちょっとしたバランスを崩れが取り返しのつかないことになってしまいます。バランスを取り戻そうと、無理に動くと倒れます。

これは倒れるヤジロベエ自身が悪いのであって、誰にも責任はありません。寄ってたかって責めていれば自分は安穏としていられます。

バカバカしい。
これが世の中だと思うと、バカバカしさも増します。そういうもんだと自分に言い聞かせるのは、角を矯めて牛を殺すのと同じです。

技術の進歩は人間の退化を促す側面があります。だからといって、相対的基準で機能する感覚や感情といった部分まで退化してはいけません。

しかし目下の最大の困難は、この強烈な眠気。なんという睡魔の大群。

まずはこやつらを片付けねば。