FRONT CONTACT WORKS INFORMATION BIOGRAPHY
contentsMenu
BLOG
2010: 07月 05月 04月 03月 01月
2009: 12月 11月 09月 08月 07月 06月 05月 04月 03月 02月 01月
2008: 12月 11月 10月 09月 08月 07月 06月 05月 04月 03月 02月 01月
2007: 12月 11月 10月 09月 08月 07月 06月 05月 04月 03月 02月 01月
2006: 12月 11月 10月 09月 08月 07月 06月 05月 04月 03月 02月 01月
2005: 12月 11月
脳のハブ / 2008年8月29日

十五年くらい前、絵を描くのが好きでMacを使って絵を描くようになりました。絵を描いていたらMacでデザインしてくれと言われ、デザインもするようになりました。技術的な記事が欲しいから書いてくれと注文が来て、技術書なども書きました。新製品のレビューが欲しいと言われ、レビュー記事も書きました。Macを使って文章を書いてレイアウトして挿絵を入れてという作業をするようになりました。DTPです。

同じ頃、自宅にあったキーボードにMIDIインタフェースがついていることを知って、MacにMIDIシーケンサーを入れて遊んでいました。当時はそれ以上のことはできませんでした。MIDI入力をギターでできたらいいのにな、と思ってギター用のMIDIコントローラを買いましたが、入力速度が遅すぎて面白くありませんでした。オーディオデータは重すぎて、4トラック同時に鳴らすのに普通のMacでは無理でした。DTMといっていました。今は、DAWです。いくつものオーディオトラック、MIDIトラックをサクサクと編集できます。

QuickTake100というAppleが出したデジカメやQV-10というカシオが出したデジカメで、ホームページ用の写真を撮影していました。商品撮影を頼まれたときは、もう少しいいデジカメで撮影していましたが、今の携帯電話のカメラより劣ります。デジタル1眼レフなどは業務用でしかなく、百万以上というのが当たり前でした。何にせよ撮影した画像は、Photoshopで加工してIllustratorやPhotoshopで加工してデータ入校するので、デジカメでいい、むしろデジカメでないと不便だと思っていました。

デジタル慣れした眼や耳で感じるのが当たり前だったのですが、そうした感覚でアナログのものをみると、デジタル化の際にこそぎ落とされているものがあることに、なんとなく気がつきました。音であれば残響が少なかったり高音域の擦れ音が薄くなっていたり、全体的に薄く感じたりということがあります。生と録音の違いではなくて、奥行きの違いと言ったらいいのかよくわかりません。写真も、CCDとフィルムとでは極端に違います。結局フィルムをスキャンしてPhotoshopで調整して出力すればいい、と思っていたのですが実際にPhotoshopで焼き込みや覆い焼きをするとノイズが酷くみられたものではありません。ところが印画紙で焼き込みや覆い焼きをすると、ノイズではなく粒子が浮いてきて、味になります。ノイズがいい場合もありますが、そうでない場合もあります。結果、印画紙向きの写真やデジタル向きの写真といった具合に使い分けるようになりました。

パソコンで何ができるんですか?という質問はよく耳にしますが、パソコンで何かができるのではなくて、パソコンは頭の中にある様々なものをつなぎ合わせて具体化するツールなのです。ボクにとっては、様々なものをMacというハブにつなぐことに寄って、別の出力を得る、という感覚です。

だから、音楽も歌も詩も写真も、聴覚・視覚といった人間が持ついくつかの入力部に合わせて用意してあるのです。そうして入力された情報は脳に集結し、想像力を強います。

これが面白い。
まだ受け入れられない / 2008年8月19日
考えてしまう。
思い出してしまう。
すぐに行けなかったのが悔しい。

でもそれは、自分より日々そば居た人の方がつらく、自分で自分をひたすら責めているのもわかる。

ただただ泣いて泣いて吐き出すしかない。もう何度目かわからない。気持ちの準備があれば現実を受け止めるのは比較的容易い。でも準備の間すらなく、ふりかかる現実は受け入れるのに時間がかかる。今はただひたすら、時間が過ぎるのを祈る気持ちで、黙々と動く。

気が緩むと心の糸が切れて、押し寄せる思い出に絡み取られて身動きできなくなる。それはボク以上に日々を過ごした人の方が、つらい。

やがてこうなると頭でわかっていても、こんなに早く来ると思わなかった。

想像した不安がそのままになっても、そんな馬鹿なことがとしか思えない。いや、そういって笑い飛ばしたいんだ。

笑い飛ばしたい。
他のことに夢中になって、忘れたい。落ち着いて思い出せる頃になるまで遮二無二、他のことにのめり込むんだ。

でも会いに帰る。
小さくても若くても家族なんだもん。自分の中で整理をつけないと、ダメだ。

ああ。
信じられない。
信じられない。
信じられない。
信じられない。

残酷だ。

なんのためにもならないが、涙を枯らして自分を落ち着かせるのが精一杯。きっと幸せだった。
そう思う。
エゴでもなんでもいい。
あれだけ皆に愛されて、やんちゃで自由だったんだから、幸せだったと思わせて。
時間と空間と、各系にある任意の / 2008年8月12日
過ぎた時間は圧縮され、濃厚だ。圧縮率は近時間が極めて高く、遠時間では低い。これは、情報量の整理に依るもので、客観と主観の両方で行われている。従って、年月を重ねたものとそうでないものとの優劣の差は、その個体の摂取した情報量では測ることができない。個体差が大きいため、経過した時間は無関係であり、むしろ基準とすべきはその個体の習慣にある。

習慣的な生活
あたりまえの平和
退屈な日常
書き割りの世界

それっていいことじゃないか。たとえギリギリの平和でも、平和に変わりはないだろ。毎日毎日飽きもせずテレビ観て、食べたいもの食べて、欲しいもの買って、当たり前の顔してクルマ乗って、それで平和が退屈だと言うのか。それで何か想像を絶することが起きないかと期待してるのか。

平和な世に華開く文化も、競争疲れした世代に台無しか。無駄に数ばかりか。無駄に数ばっかり多いのか。常に言うだけ。弁は立つが、中身空っぽ。

言うだけいって、あとは知らん顔。

現実が因果律に支配されていることは、動物だって知ってる。

立て直しはこちらの役目。
ライブ / 2008年8月11日

喜老人じゃなくて、ギタリストとしてソロボーカリストのサポートで、ライブのお手伝いに行ってきました。手伝いとはいえ、ボーカルとギターだけのアコースティックなうえに、バーでのライブですのでお客さんとの距離も近く、わりとシビアでした。

オリジナル三曲にカバーが三曲。終わってみたら好評で、ホッとしました。MCなんぞはしたことなかったものの、多少は喋らざるを得なかったので、さらっと自己紹介しつつメインでやってるバンドの宣伝やボーカリストが別で活動してるユニットの紹介をして、なんとか乗り越えた感じです。カバーは年配の方には懐かしい曲と、アニソンをやりましたが、奇しくもそのアニメの舞台が正しくこのバーの地元だったということもあり、年齢層のわりに知ってる人が多かったのには驚きました。涼宮ハルヒの憂鬱ってやつです。やって正解だった感触で、喜んでもらえた様子でした。

他のミュージシャンの方も、極めて個性的かつクオリティが高く、相当楽しませていただきました。笑いが止まらなかった!

終わってからはお客さんから、やってるバンドの方にも興味を持っていただけたようで、嬉しい限りです。

ボーカルのバックで弾くと、ボーカルの癖やノリを体感できますので、プレイによる表現の幅も広がることがわかりました。ボーカルの要求に応え、バックとして確実かつボーカルの気持ちを引っ張って、実力以上の表現力を具現化させるのが、楽器の役目だと思っていますので、リズムとダイナミクスに神経を使いながらボーカルの感情の動きを見ながら、抑揚をつけて、お客さんを引き込むときの快感は癖になります。緊張し過ぎはいけませんが、ある程度の緊張感をもって演奏すると、得も言われぬ一体感と達成感と解放感を味わえます。これが癖になる。このところのライブは、わりとコンスタンスにそのテンションにもっていけているので、楽しくて仕方ありません。

ほんと、百回の練習より、一回のライブ経験の方が格段に上達します。ライブの失敗はライブでしか取り返せませんので、悔しければ嫌でも反省して、挽回しようと鍛練していきます。

またこういう機会があれば、やりたいものです。縛り無く自由で、ボーカルを支えてビートを出す快感は楽しいだけじゃなくて、得るものがすごいと、改めて実感しました。この日は、深夜から別の場所でもライブしていました。