
もう間違いない。時代は変わったんだ。
古い時代を懐かしむのもいい。けれどしがみついたら良くはない。古い時代から学ぶのもいい。けれどその時代背景を知らなければ学べない。
飛翔してまだ高く昇っていくその入り口まで来れたんだから、あとは上へ向かっていく。
道筋をつければついてこれる。
今は懐かしむものでもしがみつくものでもない。
罵られても、謗られても、疎まれても、褒められても、なんでもない。
今があって上へ前へ進んでいくだけだ。
蒼穹の極みは、宙にあり。

あれこれそれどれもこれも吸収して止まりません。再びプログラムへ手を付けだしたら、脳みそのスイッチが切り替わったかの如く、没頭してどんどん吸収して進んでいきます。とにかく一段落つくまでは遮二無二でも一つずつ。
光が見えた。遠く遠くに光が見えた。光に導かれ、真っ直ぐ光に進んでいった。
光は暖かく、日だまりのように輝いていた。
それは幸せだった。
ひたすらに光りを感じた。
やがてその光りに目が慣れて、光りの中でいろいろなものが見え始めた。光は相変わらず暖かく輝いているけれど、光に慣れた目は、その光の中にいろいろなものを見るようになった。
そしてその光に遮られていた新たな光をも見出だした。
その光はこの光より美しく、明るく、きらびやかに輝いて見えた。
新たな光を目指すんだ。
きっとこれを繰り返し、感覚を磨き研ぎ澄ませ、感性の化け物、感受性の怪物、自己欺瞞の塊になるんだ。
それを認識して行動できることは、残酷で外道で血も涙もないことだけれど、幸せ。
光が常に道標。
満足を知り、次の満足を目指すのは何であれ高みへの一歩だ。満足で動けなくなるならば、何もしない方がいい。
欲求を満たし、次の不満を解決するのが成長だ。
おのれの満足も不満も、喜びも楽しみも感じることができなければ、そこからは動けまい。
いつまでも我を持ち、おのれをおのれと認識し、その感覚で得た知識を知恵に変え、歩みを止めず、移り気であっても自身の満足に貪欲であることが肝要で、環境や関係や立場に順応などしては出た芽も、落ちて来たひらめきも、歩んで来た時間も、ただ経過してきた道以外にはならない。
ああ、悪いことをしたのかな。
わからないや。きっといろいろ置いてきてしまってるのかもしれないけど、もうわからないや。
まだまだ進まなければいけない道がある。
邪道でも外道でも正道でも獣道でも、生きている限り続ける。
やめたくなったら死ねばいい。
そんなことはいつでもできる。
だから何も気にせず先に進む。進む。
誰よりも先に。
誰よりも早く。
誰よりも誰よりも。
競争じゃない。
ただの人生だ。