行き先は夜明け前 / 2008年10月28日

道は見えていても、その先が見えないと不安だからといって立ち止まっていてもずっとその先は見えないままで不安は想像力を掻き立てて大きく膨らみ押しつぶされる。
そんなことになる前に、道があるなら進んで行けばいい。不安でも怖くても見えなくても前に進めばきっといいんだと思うから、押しつぶされそうになりながらでも自分を奮い立たせて前に進んでいく。だから目標を定めて足下の一歩一歩をきちんと丁寧に踏みしめて、進んでいきたいと願っていて、その動作を繰り返していればいつかきっと夜明けが来て、明るくなるんだと信じることしか、今はできない。
そんな今という年月を重ねて、はじめて、やっと、なにがしかの実感を得て、迷わずに生きることができて、天命を知って、もっともっと年月を得て道に外れないようにでもなることができれば、それが大往生なのかもしれない。
いろいろ考えるのは、迷っているからで、その迷いを吹っ切れたら考えなくなって、考えなくなったらとてもとても嬉しくなって、なんだか言葉ではっきり説明はできないけれど、これが知るということなのだと素直に納得できて、素直に納得できた自分を発見してもっともっと嬉しくなって、物事ってどれだけ複雑になっても二種類しかないんだと学べた。
自ずからやってくる夜明けに向かって、一歩一歩あゆんでいくのも乙なことだ。
わからない / 2008年10月24日

進んでいるのか戻っているのか止まっているのか、知ろうとしてしまうからわからなくなる。
足下だけを無心に見つめ、そこに己の姿を映していれば、きっとそれでいい。
窓を外から誰かが叩く。
雨が降ると寒いから、入れてくれと叩く。
その音だけで、外の世界が動いていることを知る。
行き過ぎる車の音。
人々の喧噪。
それらが見えなくても、感じることができれば、それだけで存在を信じていられるから、それでいい。
見えすぎたら、そこまで。
知りすぎたら、おしまい。
でも大丈夫。
疑問がなければ見えすぎることはないし、知りすぎることもない。疑問を持って見つめても知っても、時間の中にいる限り果てはない。
だから大丈夫。
無有光陰合一 / 2008年10月15日

何かと出るから目立って叩かれる。
そうして刺激されるから、反応する。
反応するから存在が確認できる。
在ることを理解できれば、反応の力を換えて存在の糧にできる。
さばえなす荒らぶれる神は、自分の中の影。
豊饒をもたらす和に満ちた穏やかな神は、自分の中の光。
無を生じて有を為すように、影を生じて光を得るのだと思う。
感情も感覚も、二つの面を揺れ動き合一にあるもので、短い期間で見たら移ろいやすく、長い期間でみたらそれが安定だと知る。
自然も同様で、春夏秋冬をそれと知らずに短期間だけ観察したら不安定。一年を通して、生から育み実り死、そして再び生へ至る循環を見て取れる。
人とて変わりはない。
一日、一ヶ月、一年など短い。
きっと十二年が一つの循環。
その中にいることを知り、その中にいる自分を意識して、叩かれて刺激を受けて反応して存在を知り、そこにさらに宇宙があることを知る。
どこまでも / 2008年10月9日
尽きること無く学んで学んで学んで学んでいく。
恥も傷も誉も財も学んでいる課程の一つに過ぎない。
感情が伴うから尚更大きく感じる。
その振れ幅が大きければ人より多く学べる。
興味も好奇心も底無し。
いや逆かな。
あらゆることへの興味や好奇心を満たして学んで、光を目指しているのかもしれない。水面に向かって浮き上がっていくように、光を求めて、上へ上へ。
暗闇から抜け出して、明るい外の世界へ向かうために、学ぶ。
そして水から抜け出して、空の彼方まで昇る。
瓦解 / 2008年10月8日

時間の感覚がおかしい。
どれが過去でどれが未来?
未来の記憶と過去の記憶。
どっちでもいい。
過去も未来も連続したものじゃない。
どれもただの状態につけられた名称で、それぞれは独立した時空。その時空が動いているんじゃなくて、ボクらがその時空を移動しているその感覚が時間。
時間の感覚はそうした移動によって発生する。
その感覚をおかしく感じるのは、ボクの移動が緩慢になっているからなのか。
それとも、そもそも本来はこういうもので、毎日の中で忘れ去っていた感覚なのか、わからない。
わからないけど、こうした感覚を客観的に俯瞰するのは痛快だ。
こつこつと / 2008年10月7日

一つずつ、自分で決めたことを落ち着いてやっていく。
焦っても無意味だった。
急いだら失敗した。
人に指を指されて笑われた。
要領の悪いとろい奴だと罵られた。
誰が何を言おうと無意味だった。
助言は聞くし、活用する。
助言の価値を判断できる基準が自分の中にあるから活用できる。
人はそれぞれが己という広大な宇宙を持ち、孤独にそこにいる。だから、他人と少しでも共感を得られる刺激を求めている。
多少の誤謬は個体差の許容範囲。
極端に違うと異質なものへの不安。
常識もそう。
同じ時期に同じ文化の中で生まれた共通した物の考え方や捉え方が常識。
常識にも人の言葉にも、自分を見失わない。
器質的な反応にも惑わされない。
そのために、一つずつこつこつとこなしていく。
成果なんて気にしない。
淡々と。
粛々と。
年月は数えない / 2008年10月1日

いろいろわかっていても、なかなか前に進めないもどかしさは、わかっているから感じるもの。そのもどかしさを落ち着いて噛み砕いて忍耐を持って足下に目をやり、一つずつ確実に一歩ずつ進んでいくのが一番の近道。
急がば回れとは人生に於いても同義で、連続する瞬間を移動する時間の概念は概念故に、主観と客観で大きく隔たりがある。
これから恥をかいていく。
新たな糧を得るために。
それは傷と思えば傷。
糧と思えば感謝に変わる。
下手の横好きで成長がなく、何にもならないとしても、自分のために続けていくのは自分と向き合うことだろう。
自信などいらない。
続ける根気を養う。
自信を得るためじゃない。
続ける習慣を体得する。
目的や動機を間違えちゃいけない。
腰を据えて深呼吸をしてから考える。
落ち着くことから始めていく。