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選挙権は国民権利です。 / 2009年8月28日
民主圧勝とか自民がどうのとか、まぁ相変わらず党派での争いってのは国民置いてけぼりがそのまんま形になってるように見えます。ちなみに、私は各党がどうのこうの言ってることに何一つ目を通していません。すみませんね。だってどうせ耳障りの良い言葉が連なっているだけの「広告」なんですから、そんなもん見たってどうってもんじゃありません。今回の選挙で次の総理が決まることになりますが、総理が麻生さんから変わったところ「あそう」でおしまいです。昭和天皇の口癖です。

「あそう」

こうなった原因を何かに求めるのは、求められた方がちょっと酷かなと思いますけど少なくともテレビ新聞雑誌ラジオの四マスには明確な責任はあります。民間株式会社として利益を追求するのは当然ではあります。しかしメディアとしての誇りを持った場合の利益を完全に間違えている。猛省すべきなのですが、これの言っている意味が分からないのかもしれないなと感じてしまうのが今の四マスの実態です。ネットはマスコミに入れるにはまだまだ信頼性が脆弱なので、そのようには捉えません。

「あそう」

ってね。

さて、今の日本に至るまでの戦後からの歴史をざっと振り返って見ます。今があるのは歴史となった過去があるからです。太平洋戦争を歴史というにはまだまだ生々しすぎて、抵抗はありますが、半世紀以上経っています。時間は流れています。戦後、ともかくは国の立て直しが必要でした。多くの人々も失った国では労働力が不足したことと、陣頭指揮を取ることができる人が不足しました。結果として、若い世代が牽引せざるを得なくなり、勢いがついたところへ、1950年の朝鮮戦争が勃発しました。この頃、日本は連合軍占領下にあって、戦争特需で工業系の生産が一挙に伸びて好景気に湧くことになります。1953年に朝鮮戦争が停戦になりますが、この特需が呼び水なり1955年から1973年までの高度成長期を日本は向かえることになります。

要因としてわかりやすいのは、朝鮮戦争とベトナム戦争の特需景気。外的要因です。内的要因として、この時代を牽引していた世代の多くが今と比べて遥かに若かったことがあるのではと考えています。専門家ではないので仔細に検分したわけではありません。こういう言い方したらずるいですけどね。

そして現代。二十一世紀。
昔からの予測通りの少子高齢化社会になりました。少子高齢化だけならまだしも、定年後することがないからということで、矍鑠たる老人が仕事をしています。敢えて意地悪な言い方をしたら、戦中戦後を経験した人たちが上に居座っているのです。この方達は、現世でおよそ考えうる限りの修羅場を経験した猛者です。高度成長期以降に生まれ、ぬくぬくと育ってきた世代が敵う相手ではありません。この方々は日本の戦後を牽引してきた方々です。その後にやってきた高度成長期の狂乱を好景気としての印象が強く残っていることでしょう。次はバブル景気です。好景気の頃を覚えていて、今は管理職という世代に概ね当たると思います。やはり自らが若い頃の狂乱景気は印象が強く残っていることでしょう。いつまでたっても「今は不景気」というわけです。

さらに悪いことに世代間のコミュニケーションギャップが、ちょっと前よりもずっと大きくなって来ています。情報源がだいたい共有されている場合は共通言語を多く持っていますので、世代間でも会話のずれは少なかったものですが、現代では四等分くらいに分断されています。それらを横断している人も居ますが、これはマイノリティです。飛鳥時代の木簡から「最近の若者は」といった意味合いの文言が見つかったなどといいますが、いつの時代も「最近の若者はなっとらん」という説教になるはずが、今は「最近の若者は意味がわからん」という始末です。

さてそれで政治のお話。
「最近の若者は意味が分からん」と思いながら選挙活動しているから、やたら過激やたら派手みたいになんだか場当たり的な選挙活動になっているように見えます。何がしたいのかわからないというのが率直なところです。そういう率直な意見で言ってしまえば「とりあえず政権獲りたい」というところしか見えてこないのは、これ民主党。「あいつら頼るならおれらにしとけよ」って言ってるのが自民党。それ以外の党は「とりあえず議席くれ」。

「あそう」

国民は、今までのように受動的に情報を摂取するだけの人々ではなくっていっています。過渡期ですが、能動的に情報を摂取してそれを自分の周囲にバラまくコロニー的な情報空間ができつつあります。クラスターと表現しても良いかもしれません。今も外を「民主党の若い候補者〜〜〜〜をよろしくお願いいたします」なんて言いながらこんな時間に通っていきましたが(午後7時半)、全然意味がわからないのです。そんな風に思っているのは私だけなのかと危惧してしまいます。

でも胸を張って言えるのは、私は愛国心があります。日本という歴史と文化を育んできたこのクニは大好きです。しかし日本の国家は愛せません。こうした愛国心は強制される物ではなく、自発的に発生する感情です。そういった訴求力がない国家なんだというのを、国民が認識を持って、自分で考えて誰かに頼まれたからとか付き合いでとかじゃなくて、国政に関心を持てばいいことになるんじゃないかなと思っています。日本の国は好きだけど政治家は嫌いって、わりと聞く言葉ですけど、それって端的にいえば私の言う愛国心と意義は同じなんだろうなと感じます。
2009年ネットの旅 / 2009年8月26日
メールはスパムは九割 ケータイメールは熟女かバイアグラ
スパム以外のメールはアマゾンから 段ボール小さくしてよアマゾン

アフィリエイトブログは読みたくない
バナーだらけのブログも読みたくない

ゆるくつながるTwitter
ゆるすぎて忘れちゃったりして

昔やってたブログとか 捨てメアドとか
いろいろ忘れたものがそのまんま
放ったらかしのインターネット
放ったらかしのインターネット


Flickrに写真アップしたら 外人からコメントきて焦った
外人からFollowされたものの Follow返ししたものか迷う

Wikipediaで調べてわかったふりして
他のページを読み出したら忘れちゃう

忘れたってググれば大丈夫
忘れたことも検索できるに違いない

次々出てくる新しいサービスに
アカウント突くって少ししたらパスワード忘れちゃう

ミクシもグリーもモバゲーも
やってはいるよインターネット


ソーシャルネットで出会いが増えて 色々あって規制も増えた
FriendFeedが便利っぽいけど イマイチ使いこなせなくて放置なう

今どきフィッシングで釣られるってないよね
なんて思っていたらおれが釣られた

フリーブログが多すぎて
どれがいいのかわかんない

だったらやめとけそんなもの
ドロップシッピングとかアフィリエイトとか
どうせ放ったらかしのインターネット
放ったらかしのインターンット


メールスパムにトラックバックやコメントスパム
次々に来るウィルスメールやパスワード認証
便利なの?
不便なの?

そしておれはiPhoneを買って
Twitterに「家なう」ってPostするんだ

やっぱ大好きインターネット
だから大好きインターネット



なんつってね。
メディアと広告について / 2009年8月5日

携帯でみると、クソみたいに下品な広告で溢れてる。

アメバも、モバゲもミクシもその他も、だいたいそっち系のバナー広告ね。それから、ダイエットとか美容とか、そういう方面。女性が男性向けのバナーを見て、気分が良いわけがないし、その逆も然り。結果としてバナーの部分は脳内でキャンセルされて、見ていても意識から外すようになるので、そんな広告意味が無い。

テレビやラジオや雑誌なんかの広告は、それ自体が面白いものも多いので好んで見たりもするけど、今のネット向け広告って携帯に限らずその他PCでのリッチな広告も見る気がない。くだらないから。そんなくだらない広告を見て買おうかな、なんて思ってしまうと、そういう自分がさらにくだらなく見えるから、絶対に買わないし、こういう広告をアリにしている企業を疑問視すらしてしまう。

まぁ、こういうブログ記事そもののがクソみたいなノイズだと言われればそれまでなんだけど、情報ってのは玉石混淆が基本で、受け手によってその価値が変わるものでもある。ネットを飛び交う情報は明確なブランドは無いし、価値基準が無い。従って受け取った側の基準によって情報の価値が変わるものだ。だから二元的な判断しかできない場合は、情報が薄っぺらいものになる。多角的に情報を収集して分析することで、情報に厚みを持たせられるのは、逆に考えれば玉石混淆故とも捉えることができる。

そういう情報空間だからこそ、広告の価値基準も未だ確定的なものはなく、数で勝負という原始的な方向でしか動いていない。マッチング広告といってもただ表示するだけだ。そんなものに何の意味がある。買う気で探しているところへマッチングならば、広告の意味も多少はあろうが、そうしてクソみたいな広告を見せられたところで、そこで買おうとは思わない。

ネット上の広告は、総じて鋭さがない。

ビジュアル的に素晴らしいものはあれど、広告したい内容を本質的に突いた舌を巻くような表現もなければ新しいニーズを開拓するようなものもない。どちらかと言えば、田圃の中の立て看板や、テレビショッピング、ただの垂れ流し、そうしたものばかりで、数さえ稼いでそのうちの数%でも購入に至り売り上げになればいいというものだ。それは資本主義、消費社会としては正しいが、文化的とは言えない。

広告はメディアの品性とも言えると思う。
テレビ、ラジオ、雑誌、新聞といった四マスは、時間をかけて広告と媒体における、お金の循環関係を築いてきた。

ネットは日本語が扱えれば誰でも参加できる大衆型メディアだ。だから一気に大衆化した。そのため黎明期を過ぎた今日、混沌期と言えるような状態でもある。

GoogleAdWordsの毒にもクスリにもならない広告、成人マンガのくだらない下品な広告、美容品ダイエットなどの定番広告、そんなものを見せられて、それでいいのか?

ネットがメディアの様に言われているが、未だメディアに成りきれていない。電波が放送局を通じない限り、ただの電波であるように、ネットはただのネットだ。放送局の様にコンテンツをまとめ、品質を維持し、ブランド化がされない限り、メディアに成ることはない。かといって電波の様に、認可制にする必要はない。ブランド化を行い、それと広告と結びつけてお金の循環を作れば、自ずとメディアと認識される様になる。成り立ち方は、有線に近い。やったもん勝ちである。

幸か不幸か、強力なコンテンツホルダであるテレビ局は地デジを前にして未曾有の大不況のため、身動きが取れない状態でもある。テレビ局各局が連携して本格的に既存ブランドをネットに対応させて乗り出してきたら、後発は太刀打ちが難しくなる。NHKですら、模索している状態で思い切ったことはできない。

ホームページをメディアだと思ったら大間違いだ。ユーザインターフェイスの一部でしかない。いくつもあるユーザインターフェイスと端末を選択するのはユーザだ。そうした多様性に対応させ、コンテンツの品質を維持して提供し続けるのがコンテンツホルダであり、広告でさえもコンテンツホルダの品質にあったコンテンツでなければならないのだ。